カオリタケ C

 カオリタケって、そんなにおいしいの?と、彼女は念を押すように訊いた。私は大げさに頷き、まったくもってこの世のものとは思われないほどだと答えた。その様子から彼女がカオリタケの味に興味を持ったのは明らかであった。当然だろう。彼女は料理家なのだ。これから採ってこようか?。と私は彼女が一緒に行くことを期待して言った。夢の中で幼菌を採っただけなのだから、まだ幼菌はそのまま残っているのだ。彼女は壁に掛かった時計を見て、娘が帰ってくるまで二時間ぐらいなら出かけられると答え、もう割烹着の紐を緩めながら、ズボンに履き替えてきますから…と、店の奥に消えていった。だいたい彼女は山歩きが大好きなのである。

 私は待つ間、彼女の書いた紙切れを眺めながら幸せな気持ちに浸っていた。佳代チャンと二人でキノコ採りか…夢なら覚めないでほしい…と思った途端、私は笑い出していた。彼女に会うまでは、今日を夢だと信じていたのだから。

しかし…と、また私は思った。やはりあの夢は余りにも現実的すぎる…と。余りにも現実的な夢だったからこそ、今日が夢だと信じた、いや、信じようとしたのだ。だが、今日の現実性に比べると、昨日のそれは少し曖昧でぼやけていることは事実である。夢だったと思えば思えないこともない。反対に、今日を夢だと思うことのほうが不条理で不自然だ。彼女の肩を思わず抱いた時の感触が夢であるはずが無い。…もういい、昨日の出来事が夢だったのだ。そう信じよう。飛行機は落ちて、私は車上狙いに財布を盗られ、…ああ…私は思い出した。田村…。土建屋の社長の田村は今日が現実である以上、もう帰らぬ人になってしまった。わざわざ現場を見に行ったが、たとえ助けたとしても夢の中で助けることになるだけだ。

私は飛行場に電話を掛けた時の気持ちを思い出した。あの時は必死だった。何百人もの人間の生命を救おうと、私は必死に電話を掛けた。不思議なものだ。夢の中の感情が夢から覚めた今でもまざまざと思い出される。そういえば以前、空を飛ぶ夢を見たことがある。それが面白いことに、両手を鳥の羽根のようにバタバタと動かして飛ぶのである。例えば高圧線があると、それを避けるために必死になって両手を動かす。すると私はその高圧線を避けることができるのである。…まったく疲れる夢だった。実際、夢から覚めた時は両肩がパンパンに張っていたことを思い出す。ただ、その夢が「空を飛ぶ」という実際に起こりえない出来事だったからこそ、はっきりと夢だと認識できたのであって、今回の夢はそうではなく、まったくの実生活を夢見たから、それが夢だと認識できなかったのだろう。人間の認識とはその程度のものなのかも知れない。つまり認識とは経験則そのものなのである。

 お待ちどうさま…と、声がして上村佳代がすっかり山歩き姿になって現れた。我々は私の軽トラックに乗り込み、残る一本のカオリタケを採りに出かけたのである。車中で、私は運転をしながら彼女を時々振り返った。実際私の心は浮き浮きして舞い上がっていた。本当にこんなに浮き浮きしたのは何年ぶりだろう。そして私の顔は自然に綻んでいたに違いない。彼女はそんなにキノコが好きなの?と、笑いながら私に言った。私は否定しようとしたが、考えてみれば彼女とこんなドライブができるのもカオリタケのおかげである。

そう、好きで好きで、死ぬほど好きだ…と、私が冗談めかして言うと、彼女は少し間を置いて、私も結構好き…と呟くように声に出した。それを聞いた私の胸は、急に動悸を激しくし始めた。その胸の高鳴りは…たぶん、彼女に対する私の気持ちの新たなる変化であっただろう。

 私の頭の中に、不意に家内の顔が浮かんだ。家内はキノコが嫌いである。全てのキノコには毒があると思っている。あんな気味の悪いもの…と、言いながら手に触れようともしない。それどころか、私のやることなすこと全てが気に入らないのである。私はそれをずっと我慢してきた。そしていつしか私自身も家内に対して無頓着になり、気にもならなくなってきていた。

 何故、家内の顔を思い浮かべたのだろう…と、私は考えた。上村佳代が私に見せる優しさは…そう、長い間忘れていた、いや、忘れようとしていた女性のそれであった。私は無意識に彼女と家内を比較していたのである。それは、自分のそばに置いておきたい、つまり、一緒に生活したい女性という意味に於て…。

 車を山際の畑の空き地に停め、私たちは歩き始めた。途中で彼女はミズヒキやらノコンギクやらを楽しそうに摘んでゆく。ふと気がつくと姿が見えないので、辺りを探すと、スギヒラタケを採っていたりする。私は楽しかった。趣味が一致するということはなんと楽しいことなのだろう。私は立ち止まり、彼女が沢の水辺でトリアシショウマの花を摘む姿に見とれていた。決して大袈裟にではなく、彼女は森の妖精にも見えた。

 栃ノ木が見えてきた。私が指さすと、彼女は、ワァーすごい木だわ…と、感心し、はしゃいだ。まったくこの木にはいつも圧倒される。古い木には神が宿ると言うが、恐らくこの大木にも霊が宿っているに違いない。私は不意に、そこに生えていたカオリタケを食べたことが、実はとんでもないコトだったのではないかという気がしてきた。私が見つけたカオリタケは、この木精が宿る大木の、言ってみれば胎内に宿っていたキノコなのである…。

 先に祠に入った私は、唖然とし、そして呆然とした。…一本残っているはずのカオリタケが、無いではないか。あとで入ってきた彼女に、ここに生えていたんだが…と言いながら、私は激しい落胆を感じていた。一体どうしたんだ!。カオリタケは、ここへ来るたびに無くなっている。今度こそ誰かが採ったに違いない。

 誰かが採ったんだわ…と、彼女が発生していた場所の辺りを指でなぞりながら、呟いた。そして私を振り向くと、にっこりと笑いながら、諦めましょう…と言った。あれこれ考えるのはやめて、他のキノコを探しましょう、とも言った。彼女に伝わった私の落胆を、彼女は懸命に消し去ろうとしてくれているようだった。

私は彼女の言に従った。そして一昨日とは逆のコースを辿って歩こうと、即座に決めた。実際カオリタケが無かったのは残念至極であるが、それについて考えること自体、私はもう、うんざりでもあった。それに私にとってみれば、ここに彼女と一緒にいられるだけで十分であった。彼女と一緒にいると、カオリタケのことはさほど重要でもないことに感じられたのだ。それに彼女はすぐに素晴らしい発見をしたのだ。例の、胞子紋を採ったカオリタケが書斎にあるはずだ、と彼女は言った。私は胞子紋を採ったカオリタケを昨夜食べたと思い込んでいたが、そしてだからこそ杉原にもカオリタケが無いと言ってしまったのだが、よく考えてみれば、あれは夢の中の出来事なのだから、現時点で存在しているはずなのだ。やれやれ…と、私は苦笑した。もう私の頭はパンクしかかっているのだろう。

 雑木林に辿り着き、私たちは一昨日とは別の場所でキシメジとクロカワ、そして多量のクリフウセンタケを見つけた。これで明日の仕入れは十分だな…などと笑いながら、私の家の裏山に降りた時、時計を見るともう五時近かった。私は彼女を待たせ、走って軽トラックを取りに行った。もう彼女を送って行かなくてはならない。私は急いで取って返し、家に着くと、助手席に乗り込んだ彼女に、ちょっと待ってほしいと言いながら家の鍵を開けた。書斎の机の上のカオリタケを彼女にやるためにである。

 そして書斎に入った私は、またもや立ち尽くさねばならなかった。机の上の紙の上から、カオリタケは忽然と消えていたのだ。…ちょっと待ってくれ…。私は声に出して呟いた。そして今朝、書斎を確認していないことに気がついた。

胞子紋は紙の上にしっかりと残っていた。それなのに、肝心の本体が無いのである。一体いつ無くなったのだろう…。

私の心の中に、再びムラムラと不安感が広がっていた。私の思考はもう限界であった。

 車に戻り、無言で車を発進させた私の様子を訝り、どうしたのかと、彼女は訊いた。私は書斎のありさまを語り、またしてもカオリタケが消えていたと伝えた。彼女はしばらく無言で目を閉じて考えていたが、突然目を開き、やがて右手で頭を抱えた。どうやら彼女にも事態がつかめない様子であった。そして、家に帰ったらもう一度整理してみますわ…と、言った。そう、彼女は整理整頓が得意だ。もう私は彼女に一切合財の整理を依頼する心境になっていた。幸い君は当事者ではない、本当に宜しく頼む、私はもう気が変になりそうだ…と、私は彼女に懇願した。昨日が夢でも、そしてもし今日が夢だったとしても、カオリタケがなくなっているのは妙ではないか…。一体全体、どこがどうなっているのか!。

 彼女を送り届け、整理がついたら電話を欲しいと言い残して、私は家に取って返した。

私は途中から、ある決意をしていたのだ。それは、やはり最初の考え通り、今日がもし夢であってもいいように、ニュースを見て起こった出来事のメモを取ろうとしたのである。本当に私は気が変になっている。今日この時が夢かも知れない…などと言う狂気の幻想は、私自身を二重人格者にしてしまうかも知れない。しかし現実がそうなっていってしまうのだから、どうしようもないのである。私は、カオリタケを食べたことを後悔し始めていた。

 電話が鳴った。受話器をとると、山本であった。今夜、田村の通夜が七時からあるから一緒に行こうという電話であった。…私は断りたかったが、そんな訳にもいかぬ。山本が六時半にここに迎えに来てくれることになり、私は急いでテレビをつけた。もう六時である。私はニュースにチャンネルを合わせた。画面の中で、キャスターが今日の出来事を伝えている。私は用意しておいたメモを取り出し、「今日でなければ分かるはずもない出来事」に限ってメモを取った。そしてそういう限定の中では、特筆すべきニュースはいくつも無かった。今朝の地震と、高速道路で起こった車両火災、それくらいであった。

 庭に車の音がして、山本が玄関に現れた。山本は新聞紙の包みを私に渡し、例のオオモミタケだと言いながら、広げて中を見せた。なるほど立派なヤツである。礼を言って私はそそくさと着替え、山本の車に乗り込んだ。

 田村の通夜の読経の中、目を閉じて私は再び考えていた。今日という日が再び巡って来るのであれば、私には田村を助けることが出来る。田村のカミサンが喪服を着て泣くこともないだろうし、村のみんなもわざわざこんなところに寄り集まることもない。坊さんだって普段着を着ていればいいし、隣組の主婦連中も飯の炊き出しにてんてこ舞いする必要もないだろう。しかし多分、上村佳代の言うように、こちらのほうが現実なのだ。もし仮に私が明日田村を助けたとしても、多分そちらのほうが夢なのだろう。

しかし、良く考えてみれば明日のほうが夢だと言う証拠はどこにもないではないか…。私はただ上村佳代にそう言われて、すがりつくような思いでそれに賛同してしまったのでは無いだろうか…。彼女にしてみれば、自分の存在が夢であるはずが無いから、そういう解釈をするのが当然だ。もしも明日の夢が…仮に夢だと仮定しても…、今日のようにまるで現実的な夢であったとしたら、一体私はどうしたらいいのだろう。また前日を夢だと断じ、その日を初めからやり直すのだろうか…。もしそんなことになれば、私の頭はいよいよ発狂に近づくだろう。つまり、どちらも…夢も現実も…まさに臨場感に溢れているのだ。

 昨日、泥棒を捕まえた時に、木刀でヤツを叩きのめしたあの感触は…今でもありありとこの掌に残っている。やはりあれは夢ではない。そう、夢ではないのだ。私はカオリタケを食べて、眠った。眠ったから、それを夢だと思っただけではないのか。実際は「現実」だったと考えたほうが妥当ではないのか。もちろんそれで説明がつくわけではないし、かえって頭が混乱してしまう危険のほうが大きいが、しかし、私が体験した日々を、どちらが夢でどちらが現実かを考えるよりはましな気がする。そう…まずそれを前提に話を組み立ててみよう。両方とも、現実であったという前提で…。

 その時私の頭の中に、突如、今日の昼に見た光景が浮かび上がった…。上村佳代の家に行く途中に陸橋の上で見た、あの単線の電車のレール…。私は目を見開いた。そうだ!、あれだ…と、その考えが私の脳裏に閃いた。つまり、駅に向かうまでの一本のレールを今までの私の過去の日々だと仮定すると、ポイントで二つに別れてしまったのが、二十日の夜なのだ。客観的に見ればレールは二本とも現実に存在する。しかし乗っている人々は、眠っていればレールが切り替わったことに気がつかない。そしてそのポイントを切り替えたのが…カオリタケではないのか…?。それを見た時に心の中に広がった不安感を思い出しながら、私はその答えを見つけたと感じた。つまりあの不安感は、現実なのか夢なのか区別することが不可能な事実を、信じられないことだが、両方とも現実だと認識することへの不安ではなかったか。

 読経の続く中、私はこの考えをもう一度整理していた。そしてやはり、最大の問題はカオリタケに帰着していた。なぜカオリタケを食べるとポイントが切り替わるのか…。そしてもし、カオリタケを食べないで寝たとしたら、次の日はどうなるのか…。さらに、もしカオリタケを真っ昼間に食べたとしたら、どうなるのか…。そして、もしカオリタケを私の目の前で上村佳代が食べたとしたら?。反対に彼女の前で私が食べたとしたら…、一体どうなるのだろう。また、カオリタケを食べないで寝たとしたら、分岐したレールの上をそのまま列車は走って行くだろうか…。多分そうだろう…。そしてポイントで分岐させて元に戻るには、カオリタケをまた食べる必要があるだろう…。

 しかしそれらのことはもうどうしようもないコトなのだ…と、私は途中で思い至った。考えてみればもうカオリタケが無いのである。何本も残っているなら、いろいろ実験が出来るかも知れないが、今、この時点では一本も残っていないのだ。ということは、つまりこのまま私はこちらのレールの上を歩いて行かねばならないという意味だ。飛行機が落ち、車上狙いに遭い、田村が死に…一つも良いことの無かったレールの上を歩かなくてはならないということだ。いや、一つも良いことが無かったわけでもない。と、私は思い直した。そして私は上村佳代の顔を思い浮かべた。

 読経が終わり、私は山本を促し席を立った。山本には初めに今夜は早々に帰るからと言っておいた。山本もそのほうが都合が良いと言ったので一緒の車で来たのである。明日の葬式にはまた来ますからと言い残して、我々は田村家を後にした。時間は七時半を少し過ぎている。

 山本が帰り、再び私は家で一人ぼっちになった。ソファーに寝転がり、ぼんやりとテレビを見ていると、華々しい音楽とともに、ボクシングの試合が始まろうとしている。私が結果を知ろうとしていた試合である。私は何となく馬鹿馬鹿しくなっていた。何もしないで、つまりカオリタケを食べないで眠っても、何事も起きないだろう。ポイントを切り替えることなしにレールは切り替わらないのだ。私はサイドボードからスコッチを取り出し、グラスに注いだ。もう、忘れよう。昨日のことはやっぱり夢だ。仮に昨日も現実だったとしても、私の人生にたった一日が加わっただけだ。そうだ…。それだけのことなのだ。

 思い出して山本のくれたオオモミタケを新聞紙を広げて取り出した。そして台所に行き、ガス台に網を乗せてから、私は食べるのをやめた。もうキノコはこりごりである。もしこのキノコを食べて明後日の夢を見たらどうするのだ!。このキノコは明日、上村佳代にやることにしよう。私は自分がすっかり臆病になっているのを知って、苦笑いをしながらオオモミタケをまた新聞紙に包んだ。その時私の脳裏に、カオリタケの甘い芳香が蘇った。ウーム、と私は唸った。本当にあのキノコは旨かったな…と、口中の唾を飲み込んだ。しかしやっぱり、あの味は忘れたほうが良いだろう。摩訶不思議なあの味は…。

 何杯目かのウイスキーをチビチビやるうちに、ボクシングの試合が終了した。7回KO。挑戦者の勝ちであった。まだ記憶にシッカリ留めておこうとしている自分を、別の自分が無視している。ひょっとすると明日は今日の繰り返しかも知れないぞ…と言う自分を、もう一方の自分が嘲笑っている。競馬の結果を聞いておけ…と命令する自分を、本当の自分が諫めている。もう何もかも終わったのだ…。今日この時が真実なのだ。そして真実は永遠に続いてゆくのだ。明日も明後日も、そのまた次の日も…。私はウイスキーに酔い、知らず知らずのうちに瞼を閉じていたようである。

 突然電話が鳴った。

 耳元で鳴った電話は、私を飛び上がらせた。時計を見ると十一時半。電話は上村佳代からであった。

 

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