カオリタケ A

 一時過ぎになって、私は車で出発した。助手席には木刀が一本乗っている。あのコソ泥め…思い知らせてやる。カオリタケを誰かに採られてしまったことが私を少々イライラさせていた。この怒りを車上狙いの犯人にぶつけてやろう、と思っていた。

林道の入り口まで来た時、脇に車が一台止まっているのが見えた。エンジンを掛けたままで、中には男が一人運転席に座っている。…こいつだ…。私は直感的にそう思った。こいつは林道に入る車をここでチェックしておき、相手が車を止めてしばらくしてから車のガラスを割るのだ。私はその車のナンバーを覚え、通り過ぎる時にチラリと顔を見た。男は寝た振りをしている。痩せた、四十前後の、鼻の下にチョビ髭を生やした陰気な感じの男であった。そして私の車が通り過ぎたあと、私がルームミラーで注視しているのも知らず、男は目を開けて私の車を見ている。…間違いない。私は確信した。

 車を夢の中と同じ所に止め、鍵を掛けずに私は車を離れた。ダッシュボードにちょっと細工をした財布を入れ、すぐ近くの大きな欅の脇の草叢に、木刀を持って身を隠した。ほんの四、五メートルの距離である。屈んでいると、こちらからは車の様子がはっきり分かる。私は時計を見た。まだ二時前である。昨日は、いや、夢の中では確か二時を過ぎていたような気がする。どだいピッタリのはずが無い…、そう思った時、私は不思議なことに気が付いた。男は昨日と同じ時刻に現れるのだろうか…?。それとも私の車を見てから車上狙いをするまでの時間が昨日と同じなのだろうか…。どちらにしても私の車を見た時刻がもう昨日とは違うのだから、今日はすでに昨日とは全てが一緒ではない。ということは…過去とは、正確に言えば未来から見た過去とは、事象こそ同じだとしても時間に関しては曖昧なものかもしれない。ということは、裏を返せば、時間というものがそもそも普遍的でなく、一様では無いのではないだろうか…。もっと言えば、時間というのは余り大した意味が無いのではないだろうか。いや、時間というモノがそもそも、この世に存在するのだろうか…。

 草叢に座り込んでこんなことを考えている時、車の音が近づいて来た。私は緊張した。車は私の車のすぐ近くに止まった。やはりさっきの車である。男が運転席に座ったまま私の車を見て、様子を窺っているのが見える。そしていったん車をバックさせ、何度も切り返してユーターンし、今来た道を引き返した。私には男の行動が理解できた。男は間もなくここに再び現れるだろう。車をユーターンして、おそらくすぐ下流の道脇に止め、歩いてここまでやってくるのだろう。そうすれば窃盗を働いたあと、すぐに逃げることができる。私は木刀を握り締め、ひたすら男を待った。

 しばらくして、案の定、男が現れた。肩から小さなバックをぶら下げ、野球帽を目深にかぶり、辺りを鋭い目でキョロキョロと窺いながら、私の車に近づいた。そしてバックからガムテープとゲンノウを取り出しながら素早く私の車のドアの把手に手袋をした手を掛けた。カチッと音がして、ドアが少し開いた。男は意外であったらしく、また周囲にキョロキョロと目を走らせ、今度はドアを大きく開け、車中を物色し始めた。そしてダッシュボードを開くと、黒皮の私の財布を見つけ、中身を確かめることなく素早くバッグに入れ、外に出ようと振り向いた。

 そのとたん、男の表情が凍りついた。私は先ほどから男の行動を見ているうちに怒り心頭に達していた。目の前で自分の車が荒らされる…考えていたよりこれは腹が立つことであった。私は男が物色を始めた時、そっと草叢を抜け出し、男が私の車に身を乗り入れているその背後に立っていたのだ。私の木刀が男の肩に炸裂した。声も上げずに崩れ落ちる男。次いで私は男の臀部を思い切り木刀で打ちのめした。叩きどころが悪いといかに木刀でも生命に関わる。しかしもう勝負は着いていた。不意の打撃に男は刃向かうどころか逃げる気力も湧かなかったようだ。うずくまる男の頭上に木刀の切っ先がある。男は身を震わせて泣き出していた。そしてバッグから私の財布を取り出し、私に返しながら警察だけは勘弁してほしいと、涙声で嘆願した。その財布を開いてみろと私は男に言った。男は泣きながらも訝しげに、言われた通りにした。財布の中から一枚の紙切れが出てくる。私は男に読んでみろと命令した。男の顔が愕然としているのが分かった。その紙切れには男の車のナンバーが書いてあり、その車に乗っている男が車上狙いの犯人であると書いておいたのだ。万がいち取り逃がした時の腹いせにと思って書いたのだ。男はすっかりしょげ返り、もう一度、警察だけは勘弁してくれといった。私は少しばかり躊躇した。頼まれるとイヤとは言えないのが私の性格だ。しかしこればかりは事情が違う。どう見ても男は初犯ではない。こんなヤツを野放しにしておく手はない。それに何と言っても私は怒っていた。私は男を車の助手席に乗せ、両手を背もたれの後ろで縛り上げ、動けないようにして警察に連れていった。

 警察で男を引き渡し事情を話すと、あなた一人で捕まえたのかとびっくりしていた。そしてしばらくして警察が男の免許証をもとに調べた結果、男は前科六犯、空き巣からひったくりまで主に窃盗中心の犯罪歴の持ち主で、半年前に刑務所を出たばかりだということも分かった。偉いものである。こんな田舎でもすぐにこんなことが分かるとは…。

ご苦労様でした、たぶん表彰させていただくことになりますので…と言う警察官の声を背後に、私は感心して警察署を出て車に乗った。そして保健所に行った。もう五時近い。泥棒を捕まえたことで私は少し興奮をしていた。一人で家に帰る気にもならなかったのだ。保健所に入ると所長の杉原が席に座って大欠伸をしている最中であった。そして私を見つけると、人懐っこい笑顔で大きく片手を上げた。

どうやら相当暇な一日だったようだ。

そう、私がカオリタケを持っていかなかったことも原因の一つだろう。杉原は私の所にやってきて、親指と人差指で御猪口を作り、唇を尖らせ、ひょいと飲む仕種をした。つまり一杯やろうという合図である。私も実はそのつもりであった。

 私は歩いて近くの料理屋に向かおうとした。私が昨日、夢の中で杉原と昼飯を食った店である。しかし店に入ろうとすると杉原が私を制止した。この店は今日の昼に飯を食ったからやめよう、あそこにしようや、と並びの一杯飲み屋に向かった。私は不思議な気持ちになり、杉原に訊いた。誰と行ったのかと。すると杉原は一人で行ったと答えた。よく行くのかと訊くと、最近はそうでもないと答えた。そして私の目を見て、それがどうかしたのかと逆に訊いてきた。イヤ、別に…と曖昧な返事をして私は店の暖簾をくぐった。

昨日の夢の中では、杉原が私を誘いあの店に行ったのだ。そして杉原は私がいなくても、今日あの店に行った。一人で行ったのだ。どうやら未来とは他人に左右されるばかりとは限らないようだ。誰もがある方向性を持って未来に向かって歩いている。例えばさっき捕まえた泥棒。昨日は成功して今日は失敗したわけだが、泥棒をしようという意志は昨日も今日も持っていたわけだ。そして例えば急に腹が痛くなって今日はシゴトをやめようとでも思わない限り、結果はどうあれ、泥棒をしたはずだ。つまり…これは意志だということだ。ある方向性とは、つまり人それぞれが持つ意志の向かう処なのであり、そしてそれがすなわち未来なのだ。こう考えると私は少し納得がいった。だから未来とは変幻自在なのであり、逆に言えば自分で思ったようになって行くものなのだ。

 そして何気ない人との関わり。昨日の夢の中で杉原が私にカオリタケを見せられたという事実。その事実が今日はなかったのだが、杉原は今日一日が退屈な一日であったというのがそのせいだとはもちろん思わない。そう思っているのは私だけなのだ。しかし私がそう思ったところで杉原自身の気持ちに何も影響を及ぼさない。彼は彼の意志で彼自身の未来に向かって歩いているに過ぎないのであって、私がそれに関わるか関わらぬかは…もちろん私自身も普通なら気が付かないのだから考えようもないが…あの泥棒と同じで正反対の結果になることもあるのだから恐い。それにしても、私はなんという不思議な体験をしたのだろう。私はこの体験を杉原に言いたくて言いたくて堪らなくなっていた。

 今日のお前は少し変だぞと、杉原が言う。私は頷いた。そして杉原の目を見据え、こう言った。実は俺は昨日の夜不思議な夢を見た。その夢の中で飛行機が落ち、私が車上狙いにあった。そして夢から覚めると昨日見た夢が、実は今日の出来事であることに気が付いた。だから飛行場に電話をして墜落を阻止し、さっきは泥棒を捕まえたのだ、と今日の出来事を洗いざらい杉原に喋った。ただしカオリタケのことだけは言わなかった。話がややこしくなる。話を聞いた杉原は何と答えて良いのか分からぬ風情であった。当然だろう。私でも逆の立場なら、冗談も程々にしろと笑ったかも知れない。しかし私は一つ証拠を用意していた。私は杉原に言った。お前の鞄の中には昨日買った老眼鏡があるだろう、銀縁で三度か四度か迷った挙げ句、見栄を張って三度にしたやつがな…と。

 杉原はコトの重要性に気が付いたようであった。なんでそんなことを知っているのだと、私の目を真剣に睨み付けた。眼鏡屋の親父を私が知らないことを杉原は知っている。だいいち私は眼鏡を今まで一度も掛けたことがない。杉原の頭が混乱しているのが良く分かった。そして私の目を見たまま、それでお前はどうするつもりなのかと訊いてきた。私は頷き、こう言った。これが一回ポッキリの出来事なら、私は悩まない。しかしひょっとすると今夜もまた夢を見るかも知れない。明日の出来事を…と私は付け加えた。そしてもし私が今夜、明日の夢を見たら、その夢の中で私は一体何をしたらいいのだろう…教えてくれ、と杉原に言った。

 杉原は私の話を聞いて、目を瞑った。頭を整理しているのだろう。そして半分ほど残っていた目の前のコップ酒を一気に飲み干し、俺ならまず上村佳代を口説く、振られたら次の日に口説かなければいいのだからな、と言ってニヤリと笑い、そうそう、もちろんギャンブルの結果を覚えておかなくっちゃあ…話にならない、こんなに簡単な金儲けは他に無いぞ…と嬉しそうに言った。そして今近県で開催されている〇〇競馬場の結果を、俺にも教えてくれたら有り難いと付け加えることも忘れなかった。

上村佳代、と突然言われて私は内心ドキッとした。我々のキノコの会に今年新しく入ってきた上村佳代。歳は四十を少し過ぎた美しい後家で、平均年齢の高いキノコの会では入会当初からアイドル的な存在になっている。彼女は結婚し、一時町を離れて遠くに行っていたのだが、二年ほど前に離婚して子供を一人連れて町に再び帰ってきた。小さい町のことだから一時は結構いろいろな噂が流れたものだが、結構身持ちが固く、今では噂も立ち消え状態になっている。彼女は今、この近くで小さな季節料理屋をやっているが、本当にいい女性である。私も男である以上、彼女を見て仲良くなりたいと内心思っているのだが、気の弱い私はそんな気持ちをおくびにも出さずに、キノコの会で会うことを楽しみにしているくらいだ。私は杉原に彼女の名前を突然言われ、どぎまぎした。

それはともかく、競馬の結果を知っておくのは悪くはない。私自身はギャンブルを全くやらないので気が付かなかった。と言うより今日一日は頭が混乱しっぱなしでそれどころではなかったのだろう。それならラジオで株式市況を聞いておいても良いだろう、と私が言うと、杉原は証券会社の売買手数料などをわざわざ手帳に書き込み、それを見せながら、いわゆる仕手株などで二十パーセントとかそれ以上上がればやっても面白いだろうと言い、ところで軍資金はあるのかと私に尋ねた。例えば純益が十パーセントとしても、百万円儲けるのに一千万円必要である。私の肩が落ちるのを見て杉原は、なんなら貸してもいいがなあ…と言いながら、突然目を輝かせながら、それより面白いことがあると言った。杉原の思いつきはこうであった。つまり、夢の中でテレビをずっと見ておいて、明日の朝にテレビ局か新聞社に乗り込み、その日一日に起こる出来事を予言すると宣言する。そして文字通り分単位で起こることを全部、次から次へと予言していってやればいい…マスコミがどんな反応をするのか、こいつは面白いぞ…夕方までには、お前はきっと日本中で誰も知らない人間がいなくなるほどの超有名人になれるぞ…まあ馬券や株のほうは朝、電話で教えといてくれれば俺が買っておいてやるから…と、杉原は酒も廻ってきたのかやけに嬉しそうにはしゃいでいる。

 私は自分自身がテレビ局でそんな予言をしている姿が目に浮かび、妙に現実味を帯びた気恥ずかしさを感じていた。しかし杉原の言うことは満更不可能なことでもなかった。それよりこんな奇妙な体験を人にも知られずに、自分一人の胸の中にしまい込んでしまうことだけは避けたかった。そんなことをしたら私は一生、この奇妙な体験を不安とともにたびたび思い出さねばならない。いっそ世間に公表してしまえばいいのだ。私はおそらく超能力者として人に見られるだろうが、実はそうではないのだ。

 そう、この話にはもう一本ウラがある。それがカオリタケだ。そして一番効果的な時期にカオリタケを公表し、私は自分とともにカオリタケを有名にする。私は楽しくなった。やはり杉原に相談して良かった。自分で考えていたらこんなことは考えもしなかったろう。やはり持つべきものは友人だ。

杉原はひとしきりはしゃいだ後、さあ帰るか…と腰を上げた。少し冷静になると今まで喋っていたことが突然馬鹿馬鹿しくなることがあるが、たぶん杉原もそんな感じであった。まあ、夢を見たら明日の朝電話をくれ、と杉原はいくぶん冷めた口調で言いながら伝票を取り上げた。それを制して私は、今日は俺が払う、何せ財布を取り戻したのだからな、と言った。杉原は、まるで私の眼光に狂気が潜んでいないかを確かめるかのように私の目をしばらく観察し、頷いて伝票をこちらに渡した。もう七時を過ぎていた。

 家に帰った私は、まず風呂に入った。もう三日も入っていないのだ。正確には二日だが、頭の中では三日ぶりの風呂だ。私は可笑しかった。どちらが正しいのだろう…?。風呂場でゆっくり湯に浸かっていると、肌を包み込む熱い湯の感触が心地良く私をくつろがせた。そしてぼんやりと今日の出来事を日記に記しておくことにしよう…と考えた。私の日記帳には普通の日記帳の倍の日付がいるぞ…と考えたとたん、私は湯船の中で笑い出した。何と奇妙で面白い体験なのだろう。この世には本当に考えられないような驚くべきことがまだまだあるのだ。若い頃はなんでも面白かった。見るもの聞くものがなんでも初めてのことばかりで、興味をそそられ、好奇心が頭を擡げる。だから若い頃に興味を持って覚えたことは生涯忘れないのだろう。しかし歳をとると…この世の大抵のことは些細な日常生活の繰り返しの中で分かってしまっていて、刺激が感じられなくなってくる。

たまに海外旅行などをして環境を変えてみても、どんなに違った風景の中にでも、またどんなに異なった人種の中にでも、回りや自分と同じ要素が、つまり共通点が見えてしまう…。そして、何となく分かってしまうのだ。だからそれ以上は求めない。興味が湧かない。これが歳をとるということなのかも知れない。あながちそれが悪いわけでもないが、しかし無性に退屈を覚える時もある。そんなときは、時が無限に長く感じられる。それは「もうこの世にはこれ以上のことが起こらないのか」と思う時である。そこには人生の虚無がある。そしてやがて私は日々の刹那的な生活に溺れ、それをまた忘れてしまうわけだ。最近はそんなことが多い。だからと言って絶望するわけでもないが、何となく生活に張りが無くなり、老けてゆく自分を感じたりもする。それが…。そんな思いがこの不思議なキノコによって一変した。私はカオリタケを食べて未来を見たのだ。こんなに素晴らしい出来事が私の人生にまだ残っていたのである。そして上村佳代の優しげな顔が脳裏に浮かんだ。明日はきっといいことがあるに違いない…。

 それにしても、カオリタケの二本が他の誰かに盗られてしまっていたのは、かえすがえすも残念であった。落ち着いたら、新たなカオリタケを捜しに山を歩かねばならない。そんなことを考えながら私は風呂を出て、寝間着に着替え、書斎に行き、胞子紋を取ったカオリタケを台所に持ち込んだ。

今日採った小さなカオリタケはラップに包み、冷蔵庫に入れた。

腹は減っていなかったのでカオリタケをまた網の上に乗せ、ガスの火で焙り、醤油を垂らして口に放り込んだ。腹は減っていなかったが、私の口の中には生唾が湧き上がっていた。こいつは旨過ぎる…、私は大きく息を吐いた。今までは少し躊躇いがあったが、今夜は無かった。もう夢の中の行動予定はできている。私はゆっくりとカオリタケを味わった。この味は…と私は思った。このカオリタケの味は、どう表現しても物足りないが、つまり、例えば非常に喉が渇いている時に飲むビール、また何日も肉類を食べていなかった時に食べる極上ステーキ、そして無性に食べたくなった時のお茶漬け…など、旨さの本質に関わっているような気がする。私は自分が何かを食べたくなった時というのは、自分の身体がそれを欲している時だと信じている。だから、このカオリタケは味も極上であるが、いつ食べても旨いと感じるのは、自分の身体に足りなかった何かがそう感じさせているのではないかと思った。このキノコにはそんなことを感じさせる何かがある。それは単に味や香りだけの問題ではなく、このキノコの持つ神秘性に関わっている。だいたい…キノコを採り始めて二十年にもなる私が、こんなに近くでこのキノコを発見したこと自体が不思議である。あの栃ノ木は一年のうちに何回も見ているし、去年もこの時期に雨宿りで祠に入っている。それが今年、突然出現した。ひょっとしたら私はこのキノコがこの地球上に始めて出現した現場を目撃したのかも知れない…。だいたい今までにこんなキノコがもし世界中のどこかで発見されていたら、大騒ぎになっていただろう。我々がそれを知らないはずが無い。…などと、とりとめもなく湧き上がってくる思考に溺れているうちに、私はやはり、睡魔が襲ってきたことを知った。

「来たな…」私は二階の寝室に行き、蒲団に潜り込んだ。そしてすぐに意識を失ってしまった。

 

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