カオリタケ @

 

 私は今年で五十歳になる。早いものだ。こうして昔から住んでいる山里の家の縁側で夕陽を浴びながら一人で寝転んでいると、トンボを追いかけて遊んでいた小さい頃の自分が、ほんの今しがたのような気がしてくるから不思議だ。一分先のことは分からないのに、四十年も前のことは一分前と同じ感覚で思い出すことができる。

どうやら人間の記憶の中では時間という感覚が消えてしまっているようだ。

 私はのろのろと、起き上がった。女房は昨日から娘の家に二週間ほど出掛けていて留守だ。女房がいないと、せいせいする。あの口喧しい女はどうして私が寝転んでいると怒るのだろう。勝手ではないか。一人娘は結婚して三年になる。私に似て気立ての良い娘だからきっと幸せになるだろう。しかし養子娘の癖に、さっさと遠くへ出てしまったことは、少し面白くない。せめて近くであれば孫の顔も時々は見に行けるのだが、まさか外国へ行ってしまうとは…。

 私は昨年、長年勤めていた会社を辞めた。べつだんトラブルがあってやめたわけではない。会社勤めがイヤになっただけの話だ。女房は勿論猛烈に反対したが、彼女が反対する理由は収入が減ることだけだと分かっていたので無視した。今はわずかな退職金と畑で細々と暮らしているが、なに、人生は長い、のんびりやればいい。親父の残してくれた土地もあることだし。

 そう言うわけで、私はしばらくは本当の一人ぽっちだ。だから夕食を用意しなくてはいけない。私は起き上がると長靴を履いた。そして腰に籠をぶら下げて裏山に登っていった。

今日は九月の二十日、日曜日だ。もうそろそろ谷ぞいの柳の枯れ木にヌメリスギタケが出ている頃だ。今年の夏は雨が少なかったせいか、キノコの発生が少ない。先日二日ばかり雨が降り、たぶん今日あたりは顔を覗かせているだろう。

 こう見えても、自分で言うのもなんだが、私はキノコ博士である。ここらあたりに発生するキノコは全て、と言わないまでも、まあほとんどは分かる。キノコというのは分類が非常に難しい。キノコは種類が多く、日本だけでも五千種ほどもあるらしい。…らしいと言うのは誰もそれを知らないからで、たぶんそれくらいだろうと…いう程度の数である。毎年のように新しいキノコが見つかっているし、毎年のようにキノコ中毒の人が病院に運ばれている。よく知られたキノコでも、その変種やら亜種が今でも結構たくさん見つかるのである。だから毒キノコの共通性とか分類の決定版みたいなものも無いし、毒キノコであると分かるのは残念なことに、無謀な人体実験の結果であることが多い。大体キノコの毒成分自体も、はっきりしないものも多いのである。

 山の人間はキノコで中毒を起こすことはあまり無い。それは、知らないキノコは決して口にしないからで、昔からおジイちゃんやおバアちゃん、そのまた昔にひいおジイちゃんやひいおバアちゃんが食べていたのと同じキノコを食べるからアタラないのである。この近辺の人はほんの数種類のキノコしか食べない。ご存じマツタケ、シイタケ、マイタケ、ナメコ、シメジ、ヒラタケ、クリタケ、冬場のエノキタケぐらいのものである。少し知っている人や、キノコの好きな人はコウタケやらホウキタケ、チャナメツムタケやらショウゲンジ、イグチ類…その他を探しては楽しんでいる。しかし知らないキノコに手を出さない、あるいは採ってきても調べるだけで食べない。だから中毒を起こさないのである。

 困るのは街からやって来てバーベキューや山菜鍋を楽しむ連中、いやそれは良いのだが、その連中の中に必ずいる知ったかぶりの素人判定家が困るのである。なまじ先生気取りでアレコレ指示を出すものだから、「分からない」となかなか言えない。去年も八名が中毒したキノコ鍋を調べたところ、なんとムキタケと一緒にツキヨタケが入っていたのである。後で聞いた話では、採ったキノコを全部鍋に放り込んだらしい。酒を飲んで気が大きくなり、「大丈夫、入れちまえ、入れちまえ!」ということになったようだ。しかしキノコは恐いのである。一つ間違えば死ぬこともある。しかも苦しんだ挙げ句に。

 私は三年前、街道を行く車からもよく見えるように、「キノコ判定いたします」と看板を上げた。だから秋になるといろいろな人がキノコを持ち込んでくる。私はそれを同定し、食べ方まで教えている。キノコを持ち込んでくる人の中に、ドクツルタケを持ってくる人が毎年何人かいる。恐いものだ。あの真っ白で形の良いキノコは素人目にはなかなか美しく、つい食べてしまいそうだ。もし食べれば、死んでしまう。

 沢に着くと、ヌメリスギタケはまだほんのわずかに頭を出したばかりであった。まだ二、三日待たねばならない。それではと私は左手の杉林を登り始めた。杉林の先には赤松とナラ、クヌギなどの雑木が混じり合う、キノコにはうってつけの林がある。もう五時近いので私は急ぐことにした。

 雑木林に入った途端、あちこちにキノコが見える。落ち葉の積もった地面や苔むした朽ち木、大きな木の根元や回り…丹念に、かつ素早く、探して歩く。ナラの木の根元に早くもクリタケが束生していた。近くにわずかだがキシメジ、そしてアミタケも出ている。毎年何回も来ている場所なのでたいてい発生場所は覚えている。小さな腰籠に半分ぐらい採ればもう充分である。私は帰ろうと、今来た道を戻り始めた。

 途中で道が枝分かれしている。さっき通った方の道を帰れば家のすぐ裏に出るのだが、私は違った道の方に歩いた。少し遠回りになるが、散歩をしようと思ったのだ。それにその道にはあのでかい栃ノ木がある。並の大きさではない。直径は二メートル近い、中が腐り果てて大きな祠になっていて、大人が四人ほど立って入れる。ここら当たりでは神木になっていて、その祠(ホコラ)には小さな社が祭ってある。樹齢何百年経っているのか見当もつかない。すぐに私はその栃ノ木の処まで着いた。栃ノ木の根がちょうど座り心地の良い椅子になっているから、私はそこで一服することにした。ここはちょうど山の中腹辺りで、九月の風が心地よい。煙草に火を着けて、座ったまま何気なく祠を覗き込むと、中に祭ってある社の少し上に、変わった赤いキノコが生えているのを見つけた。

 (何だろう…?)もちろんすぐに洞に入り、そのキノコを見た。

 「はて、…何だろう…?」

 今度は声に出した。すぐには答えが出てこなかった。形態と傘の色はちょうどベニテング。しかしベニテング特有の白いイボは無い。ヌメリも無い。肉厚の傘の直径は五センチほど。茎のほうは固く締まり、少し赤みを帯びた黄色。襞は細かい管孔状で、オリーブ色。これはイグチ類の特徴だ。何という優雅で美しいキノコだろう…。観察しながら、私の頭の中はフル回転して記憶の辞書のページを捲り続けていたが、発生場所やら形態、色、などを勘案した結果、このキノコは私の辞書には無いということが分かった。私の辞書に無いということは、新種のキノコという確立が高い。私はドキドキした。胸が高鳴っている。

 そしてこのキノコの特徴がもう一つあった。それは祠に入ったとたん、私の鼻孔を擽った強い芳香であった。それは甘く、香ばしく、一種気高く、気品に満ちた香りであった。こんな匂いのするキノコに出会ったのも初めてである。この香りに比べたら…マツタケのそれは野卑な香りにすら思えてくる。しばし私は陶然とした…。祠全体がまったくの別世界のようであった。キノコは五本ほど、かたまって生えていた。念のため栃ノ木の外側や周辺の木も調べたが、無かった。私は少し迷った挙げ句、成熟したものを二本だけそっと外し、籠に入れた。そして家に向かった。全部採らなかったのは、明日ここに来てこのキノコの生えている状態を写真に撮りたかったからだ。

 家に帰る途中、私はわくわくしながらこのキノコに名前を付けようとしていた。キノコの名前にはたまに面白いものもあるが、たいていは月並みなものが多い。『トチホコラダケ』…うーん少し冴えない。『トチベニタケ』…これはまあまあ。『ヤシロカオリダケ』…うむ、なかなかだ。

 家に着いた。もう六時を回って、辺りも薄暗くなっている。私は家に入ると、ビールも飲まず、さっそくとってきたキノコで味噌汁をこさえた。これが一番簡単で旨いのだ。後は漬物と飯があれば良い。女房と二人の時はけっこう凝った料理を作ったりもするが、一人ではその気にならない。しかも今日は特別な日だ。あのキノコを調べなければならない。台所の机の上に置いてある『ベニカオリダケ』は甘い芳香を放ちながら、まるで可愛らしい人形のように二つ並んでいる。飯を食いながら、私はずっとこのキノコに見とれていた。一見ベニイグチに似ているようでもあるが、柄の形も違うし、だいいちベニイグチは地上に生えている。このキノコは栃ノ木の洞の中に発生していたのだ。しかも、香りがまったく違う。この香りだけで新種と分かるではないか。ただ、ひょっとすると日本以外の地に発生するキノコの可能性もある。私は食事のあとで海外のキノコ辞典も調べてみるつもりだった。食事を済ませ、後片づけをして、私は書斎へと急いだ。

 

 気がつくともう十一時を回っていた。私は大きく長い溜め息を吐いた。机の上には今日発見した『カオリタケ』の残骸と顕微鏡、胞子紋を採るための紙、などが散乱している。その横に二冊、海外で出版されたキノコ辞典がある。結論を先に言えば、間違いなく新種である。しかも近似種とか亜種ではない。私はもうドキドキはしなかったが、なんとはない満足感を覚えていた。私はこのキノコの第一発見者なのだ。明日は図鑑に乗せるための写真を撮らねばならない。私はカメラのフィルムを引き出しから取り出し、愛用の一眼レフカメラに入れた。フィルム表示に1と出た。名前は調べているうちに決めた。『カオリタケ』と命名したのである。『ダケ』ではなくて『タケ』にしたのはそのほうが、食べて旨そうであったからだ。

 そう、実際私は先ほどから奇妙な誘惑に駆られていた。それはこの新種のキノコを食べてみたいという誘惑であった。『分からないキノコは食べないように』といつも皆に口を酸っぱくして言っている私が、口の中に涎が湧いてくるのを押さえることが出来ないのである。何と言っても、それは『カオリタケ』の香りが原因なのは分かっている。香りを嗅いでいるだけで、私は洞の中にいた時と同じように、陶然としてしまう。この香りが、喉から鼻に抜けて行くのを想像するだけで、口中に唾が湧き出てくるのである。傘の部分を少し、生で噛ってみる。しっかりとしていて、かつ、ソフトな舌触りだ。甘い、濃厚な芳香が心地良い。その時突如このキノコを焼いてみようという発想が浮かんだ…。そうだ、何故それに気づかなかったのだ!。焼いて香りがどうなるかも、知りたかった。私はさっそく細切れになったキノコを手で掻き集め、台所に行った。

 ガス台に置かれたアミの上に…ガスの火力を絞って私はキノコを乗せた。炎に焙られたキノコはまるで生き物のように、わずかに動いた。そして数秒後、何とも名状しがたい芳香…生の時とはまた違った強い芳香が辺りに漂い始めた。私はしばし目を閉じて、大きく息を鼻から吸い込みながら、炎がもたらしてくれたその甘い燻風に酔った。気がつくと私は手に醤油差しを持っていた。(所詮、イグチ類だ。)と私は自分に言い聞かせた。そしてたとえ毒キノコであっても、少量なら構わないと、また言い聞かせた。そして私は今夜の食事でビールを飲まなかったのを思い出した。ビールは食事前に欠かしたことがない。それを飲まなかったのは多分…もう最初からこのキノコを食べる心積もりではなかったか?。ホテイシメジやヒトヨタケの様にアルコールと一緒に食べるとアタるキノコもあるのだ。私はアミの上でちょうど食べ頃に焙られた『カオリタケ』の茎を箸でつまんで口に放り込んだ。シャキシャキとした、程よい噛みごたえとともに、口中にカオリタケの香ばしい薫りが広がった。私は幸せに酔った。こんなに旨いキノコは初めてだ…。もうそれは単なるキノコの味を超えていた。何か別の、もうすでに調理の済んだ上等の料理を食べているのではないかという錯覚さえ覚えた。そうだ…私は自分の思いつきに頷いた。このキノコは神が特別に料理をしてくださっていたのだ、と。

 私は夢中で、調査に使った分を瞬く間に食べ終えてしまった。その絶妙の味が、私の心に芽生えた不安を打ち消した。もしこのキノコが食用不適であったら…この世には神も仏もいないとさえ思われた。それより、こんなに旨いキノコなら、新聞やテレビのニュースにだってなるはずだ。そして私はその第一発見者なのだ。私はしかし、胞子紋をとっているもう一本を食べるのだけは止めておいた。食べるのが恐いと言うより、食べるのが勿体無かった。何故ならこのキノコはたった五本しか生えていなかったからだ。

 三十分ほど経って、テレビを見るともなく見ていた私は、急激に眠くなった。全身が気だるくなり、自然に瞼が閉じそうになる。時計を見るともう十二時を過ぎている。一種の不安が心の片隅を過ったが、たぶん私は疲れているのだろう。毒キノコの中にはまず睡魔が襲ってきてその後嘔吐などを引き起こす種類もある。腹の調子は何ともない。口の中にはまだカオリタケの香りが消え残っている。美しい花には刺がある…と私は呟いた。旨いキノコには毒がある…かも知れない。まあ、いいだろう。全て明日になれば分かる。もっともドクササコのように何日も経ってから中毒症状を呈するキノコもあるが…などと考えているうちに、私は眠ってしまった。それは徹夜を続けた後の眠りにも似た、深い、心地良い眠りであった。

 

 次の日の朝、目が覚めた私は大きく伸びをした。何のことはない、ソファーの上で座蒲団を腹の上に乗せて、そのまま寝てしまったようだ。時計を見ると、もう九時だ。やれやれ…よく寝たものだ。テレビがついたままだ。ニュースをやっている。つい先ほど、九州で飛行機が墜落したらしい。私はソファーに寝転がったまま、ぼんやりとニュースに見入った。ジャンボ機がエンジン不調で離陸直後に墜落したという。犠牲者は二百人以上。いつになっても航空機事故はなくならない。この犠牲者数から見たら、キノコ中毒で死亡する率は問題にならない。その時私はやっとカオリタケのことを思い出した。そうだ今日はいろいろと忙しい。まずカオリタケの写真を撮らねばならない。幸い天気も良い。そして町の保健所に行かなければならない。そこの所長の杉原は昔からの友達で、私が主催するキノコの会のメンバーでもある。昨日カオリタケ発見の時もよほど家に呼ぼうかと思ったのだが、一応自分で同定してからと思ったのである。書斎に行ってみると昨夜紙の上に置いておいたカオリタケの胞子紋は白色であった。

 軽い朝食を食べ、出かける支度をしていると、近所の偏屈爺さんがやってきた。もう七十はとっくの昔に過ぎているが、かくしゃくたるもので、しかも悪いことに人を叱るのが大好きときている。爺さんは私が庭先で長靴を履いている処にやってきて、私を睨み付けると、大声で昨日の草刈りの最中に、私が誤って爺さんの畑の際に生えている柿の木に傷をつけたことを怒った。つい草刈り機の刃が柿の木に当たってしまったのだ。そんなことどうでも良いではないかと思ったが、そんな言い方をすればまたまた怒るのが分かっているから丁寧に謝り、もしも今年柿の実のなりが悪かったら弁償しますと言っておいた。全く困った爺さんだが、あれがあの爺さんの健康法なのだ。爺さんが帰り、私は首からカメラをぶら下げて昨日の場所に向かった。

 栃ノ木が見えた。私はわくわくしていた。口の中に、昨夜食べたカオリタケの香りが広がっていた。記憶とは本当に不思議なものだ。記憶は本当に頭脳細胞だけで行なわれているのだろうか。

 洞に入ると、カオリタケの甘い香りが充満していた。私は薄暗い洞の中でフラッシュを焚いて、何枚も違った角度から三本のカオリタケを写した。そしてそのうちの二本を丁寧に外し、外に出て栃ノ木の根の上に並べ、裏からも撮影した。一本だけでも残したのは、まだそれが幼菌だったのと、後でここに発生していたと言う証拠を杉原に見せるためである。

 十一時半頃家に帰り、保健所に電話をした。杉原を呼び出すと、私はさっそくカオリタケの話をした。もちろんそれを食べたことまでは言わなかったが、特徴を幾つか話すと杉原はすぐに持ってきてくれと言った。

 キノコ狩りには不思議な魅力がある。それは誰も知らないほど多くの種類があるために、ひょっとしたらとんでもなく旨いキノコ、とんでもなく美しいキノコに、巡り会えるかも知れないという魅力である。キノコ狩りに限らず、山菜採りや魚釣りにもそれと同じ魅力があるだろう。頑丈な仕掛けを作りながら、釣り人はこの仕掛けをブッちぎってゆく大物に思いを馳せる。ひょっとしたら…という思いはいつも、誰の心にもあるものだ。それは未知の自然に対する憧憬でもある。

 私は車で町の保健所に行き、ちょうど昼休みに入った杉原と近くの料理屋に行った。座敷に上がり、私はさっそくビニール袋に入れた、今日採ったばかりの二本のカオリタケを取り出した。袋の端を開けただけで、部屋中にカオリタケの甘い芳香が充満した。徒ならぬキノコを見せられて、杉原の目は真剣そのものであった。昨日買ったばかりだという老眼鏡を、鞄からいまいましげに取り出して、こんなものを買うようになったらオシマイだなどと呟きながら観察を始めた。私は少し得意気に、発見までのいきさつを、発生場所を除いて、事細かに説明した。私の説明に頷きながら、杉原は手にしたカオリタケを子細に点検し、香りを嗅いだ。結果的に杉原も私と同じ見解であり、イグチの仲間ではあるが、新種であると断言した。そしてすぐに成分を調査機関に回して調べるので二本とも預かると言ったが、私は一本にしてくれと頼んだ。

そう、私は今夜もカオリタケを食べるつもりであった。

私の心を見透かしたように、杉原は、このキノコは大変旨そうであり、成分分析で特に毒が無い場合は一緒に味見をしようと言った。なに、分析はすぐにやらせるから、と杉原は付け加えた。

 

 杉原と分かれ、帰り道、私は近くの沢に車を乗り入れ、今月一杯で禁漁となるアマゴを狙って竿を振った。竿と仕掛けはいつも車に積んである。三時間ほど粘ったがアタリも無く、仕方なく納竿し車に戻ってみると、何と運転席側の窓ガラスが割られているではないか。車上狙いは明らかである。助手席の前のダッシュボードに入れてあった財布が盗られている。やれやれ…と私は嘆息した。住みにくい世になったものだ。昔はこんなことは全く無かった。家に鍵をかける人も、ついこの間までほとんどいなかったのに。車が発達していろんな人がこの山里にも来るようになった。そしてちょうどその割合で、こういった犯罪も多くなってきたのだ。

幸いカオリタケは無事であった。それが私には嬉しかったが、まあ、こんなものを盗る奴もいないか…と苦笑して、一応警察に出向いた。警察も手慣れた様子で、財布の金額などを聞き、調書を書き、まあ多分犯人は捕まりませんが…などとふざけたことを言いながら、こういう場合は車に鍵をかけずに車に何も置かないこと、と逆に私に注意をした。しかしなるほど、鍵をかけねば壊されることもないのは道理であると、妙に納得して帰路に着いたのであった。

 昨夜食べたカオリタケがほぼ無毒なのは間違いなかった。今日一日、一応は腹の具合とか頭痛などの兆候に気は配っていたが、何事もなかったからだ。もう杉原にカオリタケを見せている頃から今日の夕飯は、カオリタケを入れたうどんにしようと決めていた。香りの代表のマツタケもうどんに入れるのが一番旨い…のだ。香りが更に強くなり、出汁もよく出て、満足感に酔うことが出来る。私は台所でうどんを作りながら、酒を飲んだ。そしてカオリタケを手で裂き、うどん玉と一緒に放り込んだ。しばらくしてカオリタケの芳香が台所中に広がり、漂い始めた。舌舐めずりしながら私はうどんを容器に移し、テーブルに置いた。このうどんは…一体いくらで売れるだろう。五千円?いやいや…と私はこの思いつきに夢中になった。

例えばこのキノコが毎年日本中でたった五本しか採れないなら、このうどんは多分十万円でも売れるだろう。いや、もっとかも知れない…などと私はうどんを少しづつ味わいながら考えた。食べ進むにつれ、私はこのうどんの値段がひょっとしたら百万でも売れるのではないかと真剣に思い始めた。喉を通るたびに鼻孔を擽るカオリタケの芳香とその喉ごしの良さは、どんな食べ物にも勝る気がした。私は最後の一滴まで出汁を飲み干し、まさに満足感に浸った。杉原にはちょっと後ろめたいが、普通のキノコとは訳が違う。

 少したって私は、眠気を覚えた。まだ七時前だ。いくらなんでも眠たくなるには早すぎる。私は酒のせいにしたかったが、たった一合飲んだだけだ。昨夜もそうだった…カオリタケを食べてすぐ後に、私は寝てしまった。ひょっとしたらこのキノコには睡眠作用があるのかも知れない。私は少し後悔した。やはり成分分析をしてから食べるべきであったと思ったが、もう後の祭りだ。それでも今日一日何事もなく過ごしたという安心感はまだ残っていた。眠たくなるだけのことなら別段どうと言うことはない。むしろ不眠症に利くではないか。私はどんぶりと箸を流しに放り込むと、階段を昇り、二階の寝室に向かった。昨日も風呂に入らなかった。今日は入りたかったが、こんなに眠くては入る気にもならない。半分眠りながらも私は下着を着替え、パジャマを着て蒲団に潜り込んだ。やはりそれは徹夜のあとの眠りに似て、深く心地良い眠りであった。私は夢も見ず、眠りこけた。

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 次の日の朝。目が覚めた。多分いつもと同じ五時ごろだろうという気がした。と言っても昨夜寝たのが七時だから十時間以上寝たことになる。目を閉じたまま大きく伸びをした私の身体は、突然床に転げ落ちた。

しばらく私は何が起こったのか分からなかった。

昨夜蒲団の上で寝たことすら思い出していなかった。見渡すと私は居間にいた。昨日昼間に着ていた服を着て。そして転げ落ちたのは私がソファーに寝ていたからだと言うことが分かった。テレビがついていた。画面はどこか分からぬ美しい風景を映し出し、バックにクラシック音楽が流れていた。時間の表示が、五時二十五分になっている。何故私はこんな部屋にいるのだろう。昨夜は服をパジャマに着替え、蒲団で寝たはずだと、やっと思い出した。いや待てよ…、ひょっとしたらパジャマに着替えたのが夢で、あのまま居間でソファーに寝っ転がって寝てしまったのかも知れない。それにしても…と半信半疑のまま私は台所に行った。昨日食べたはずのカオリタケのうどん。丼も箸も流しに放り込んで二階に上がって寝てしまったはずだ。…しかし私は台所でしばし呆然とするしかなかった。ドンブリも箸も、何も無かった。代わりにガスコンロの上に一昨日カオリタケを焼いた網が乗っかっているではないか。私は何がなんだか分からなくなっていた。事態がつかめない。心の中に、大きな不安が渦巻いていた。一体、昨日の私の行動は何だったのだろう。ふと思いついて私は書斎に向かった。机の上に、カオリタケの傘が胞子紋を採るために紙の上に乗せてある…。私はその机の上に置いてあるカメラを手にした。フィルムの枚数の表示は1であった。昨日の朝、カオリタケを撮影しに行ったはずなのに…。確か十枚以上撮ったはずだ。

 その時、六時のニュースがテレビから聞こえた。

 「おはようございます。九月二十一日、六時になりました…。」

 何だって?。…二十一日?。それは昨日の日付けではないか!。

 「えっ?」

 私は混乱を来した頭で必死に考えた。たしか昨日は九時過ぎに起きて、テレビニュースを見て、カオリタケを撮影にでかけ、昼に保健所の杉原と合い、釣りをして…そうそう、車上狙いにあったのだ。それは断じて夢ではない。あれが夢なら何もかも夢だ。あんなはっきりした記憶が夢であるわけが無い。今でも杉原の言葉や、警察官の言葉が脳裏に焼き付いている。

 それなら、もしも昨日起こったことが夢で無いなら…今日は一体なんなのだろう。何故今日が昨日なのだろう。私は居間のソファーの上で、ロダンの『考える人』になっていた。頭が痺れ、少し気分が悪い。しかしテレビが無情にも現実を告げている。ニュースは九月二十日に起こった事を放送しているのだ。しばらくテレビを見ていた私は突然、飛び上がるように立ち上がった。

今日、九州で飛行機が墜落する!。しかもあと3時間後に…。

一体どうしたらいいのだろう。航空会社の名前は覚えていたので、すぐに電話をしようと思ったが、しかし、一体どう言えばいいのだろう…。事故はO空港を飛び立って間もなく起こっているのだ。私はざわめく胸を押さえて息を整えた。そして目を瞑り、電話を諦めようとした。どんな理由をつけても、私の話にまともに取り合ってくれるとは考えにくかった。しかしこのまま何もしないで墜落するのを見ていろと言うのか…。私は自問自答していた。二百人の生命が掛っているのだ。

 しばらく経って、私は受話器を取り上げた。そしてとりあえずO空港を呼び出し、昨日墜落事故を起こした航空会社に繋いでもらった。無愛想な男の声が受話器から聞こえた。私は9時ごろに出発する成田行きの飛行機の便名を訪ねた。302便だと言う。間違いない。この便だ。私は息を整え、咳払いを一つしてから、この飛行機は、このまま出発すれば間違いなく落ちますと伝えた。受話器の向こうから怪訝そうな声が私の名前を尋ねているのにも構わず、私はなるべくきっぱりとした喋り方で、この飛行機はエンジンが不調であり、飛び立つと同時に落ちるであろう。名前は言えないが、出発までに時間があるのだからもう一度エンジンを調べてもらいたいと言った。

相手の男はますます怪訝な声になり、しきりに私の名前を尋ねている。私は思いついて、私は実はこの機の整備士の一人だと嘘を言った。整備した私が言うのだから間違いない、必ずエンジンを点検してほしい、でなければこの飛行機は間違いなく落ちる…と繰り返して、電話を切った。そして、祈った。どうか私の言う通りエンジンを調べてくれ!。もう七時前だ。時間が無い。

それからの一時間余り…私は落ち着かなかった、というよりうろたえていた。こんな気持ちは娘の高校入試の発表前夜以来だ。娘は高校に無事入学し、二年後にオーストラリアに一カ月体験留学をし、そこで知り合ったオーストラリア人と短大時代に交際を始め、三年前、結婚してしまったのだ。「これからは英語を喋れるようにしておくように」と小学校時代から言い続けた結果である。何が良かったのか分からない。うろたえながらも私はこんなことを思い出していた。とにかく落ち着かなかった。8時30分になって私はもう一度電話をかけた。もし航空会社が何も対応していなかったら、302便に爆弾を仕掛けたと言うつもりだった。そして電話に出た女性に、302便のことを聞いた。女性には私のことが伝わっていたのか、すぐに電話を代わり、聞き覚えのある無愛想な男の声が聞こえた。男はぶっきらぼうに、出発予定の機体を変更したと言い、確かにエンジン不備が見つかったと、まるで怒っているように私に伝えた。

私は心底ほっとした。この無愛想な男は、実は目茶苦茶良い男ではないだろうか…。

私は男に礼を言った。男はもう一度私に名前を聞いた。私は安心したついでに少し茶目っ気を出し、私は実は夢占い師であると告げた。そして男が電話の向こうで呆然としている姿を思い浮かべ、込み上げてくる笑いをつい声に出してから、電話を切った。

 八時半を過ぎても、テレビからは航空機事故のニュースは流れてこなかった。もう安心である。ほっと息を吐いて、私は再び昨日と今日の事を考え始めた。

 例えば…と私は考えた。例えば…昨日は飛行機が落ちた。ところが今日、私がそれを知っていたせいで、墜落を阻止できた。では、昨日の飛行機の墜落事故の記憶は一体なんなのだ!。私一人だけの記憶ではないか。昨日の事故は今となっては現実ではなく、私だけが見た夢だ。しかしその夢が間違っていなかったことは確かである。なぜなら出発予定の飛行機のエンジンは間違いなく故障していたのだから。もし私が何も告げなかったなら、たぶん昨日の悪夢は繰り返されていただろう。だから私は夢の中で未来を見たに違いない。では何故、未来が見えたのだろう?。

 私はソファーから書斎を見た。ドアは開けたままになっている。そして机の上に、胞子紋をとったカオリタケが置いてあるのが見えた。…カオリタケ…。私は昨夜、私の記憶から言えば正確には一昨日の夜、カオリタケを焼いて食べた。そしてその後、妙に眠たくなって寝てしまった。そして目が覚めると、問題の一日が始まったのだ。つまりその日、目が覚めたと言うのがポイントだ。私は目を覚まさなかったのだ。夢の中で目を覚ましただけなのだ。…ようやく私の頭が現実に沿って回転し始めたようだ。つじつまを合わせないと気が変になってしまう。そうなのだ、と私は繰り返した。私が未来を見たのは夢の中で見たのだ、と。

 何故未来を見たのかということに関しては、たぶん、このカオリタケのせいだろうと私は解釈を試みた。何の根拠もないが、それ以外に考えられない。このカオリタケは、味も度を超えているが、時間も超えているのだ。このキノコを食べると幸せに酔い、そして未来を体験できるのだ。なんと素晴らしい、不思議なキノコなのだろう!。私がなんとか現実を理解しようとし始めた時、外で物音がした。

 やっぱり…、と私は苦笑いを浮かべた。たぶんそうであろうと思って玄関を出てみると、近所の偏屈オヤジが昨日、いや、夢の中と同じ身なりで突っ立っていた。何を言うのかもう分かっている。私はとっさにオヤジが口を開く前に、草刈りで柿の木に傷を付けたことを謝った。今日これから謝りに行こうと思ってたんですが…と嘘まで言った。オヤジは私の先制攻撃に気勢を削がれ、何やらブツブツと口の中でつぶやきながら、帰っていった。私は面白かった。私の推理はおそらく当たっているに違いない。私はカオリタケを食べて、未来を見たのだ。そしてもっと面白いことに、その未来は自分で変えられる!。

 さて、今日これから私は何をしたらいいのだろう。私は思案した。こんなことが分かっていたら、ほかにやることがあったろうに…。そう考えた時、私は素晴らしいことを思いついた。このカオリタケを今夜も食べてやろう。そして又一日先の夢を見たら、その夢の中で私はいろいろ実験してやろう。失敗しても構わない。何故なら又やり直せるのだから…。私はこの思いつきにわくわくし、今日保健所の杉原にカオリタケを持ってゆくのをやめた。このキノコをもっと自分で研究しなくてはならない。そう、文字通り身をもって試さねばならないのだ。

 夢の中でやることを今日は考えることにした。効率的に、いろいろ計画しなくてはならない。そうそう、車上狙いの犯人だけは捕まえなければ…。と突然私は思った。実際はまだ財布は盗られていないのだから犯人を捕まえなくても良さそうであるが、昨日の、いや、夢の中の悔しさを思うと絶対捕まえてやろうと考えたのだ。それにその卑劣な犯人をみすみす野放しにしておく手は無い。捕まえておけば将来の犯罪をも防ぐことができるではないか。あれは確か昼の二時頃に、私は車を林道の脇に止めた。そして五時頃まで釣っていたのだからその三時間の間を見張っていれば良い。できたら警官に一緒に居てもらったほうが良いが、訳を話すのに手こずるだろう。警察と言うのは事件事故が起きてからでないと動かないことは知っている。まあ相手はコソ泥だ。私は昔の話だが柔道三段で、少しは喧嘩にも自信がある。木刀一本と心の準備さえしておけば大丈夫だろう。

 その頃になって私はやっと空腹感を覚え、朝食を食べていないことに気がついた。もう十一時過ぎだ。一瞬カオリタケを食おうかとも思ったが、すぐにその考えを打ち消した。今頃又眠ってしまったら、やることが決まらないまま又夢の中ではないか…。泥棒も捕まえなくてはならないし、それにカオリタケの撮影もしなければならない。昨日撮影したカオリタケは夢の中で撮影したのだから。

私はパンを焼き、コーヒーをいれた。頭の中で一応結論が出ていたので、私の心は不思議な好奇心に満たされて、半ば浮き浮きしながらパンを頬張り、コーヒーを啜った。食事をすると身体に力が漲り、私はカメラを持って栃ノ木を目指して山を登った。

 

 栃ノ木の祠に入ったとたん、私は一瞬目を疑い、そして叫んだ。

 「しまった…!。」と。

 三本あるはずのカオリタケが一本しかなかった。私は昨日、カオリタケを残したことを後悔した。考えてみればこの場所は街道からも入りやすく、かつ近所の人も山仕事の途中によく休んだりする場所でもある。しかも昨日は日曜日だ。誰かが私が採ったあとに来て、採っていってしまったのだ。カオリタケの香りは誰が嗅いでも素晴らしいものだ。小振りな一本だけ残したのはたぶん夢の中の私と同じ考えからだろう。

 残念無念とはこんな時を言うのだと思う。昨日全部採ってしまっておけば良かった。もしカオリタケが私の考えたように未来が見えるキノコであるなら、採っていった人も、(もし食べていれば)未来を見ることになる。かりに食べずに捨ててしまうのなら、こんなに勿体無いことはない。一体誰が採ったのだろう…。彼と私は、ひょっとしたらカオリタケの第一発見者をめぐって争うことになるかも知れない…。などと考えながら私は残った一本のカオリタケの写真を撮り、そのあとでそれを木から外した。これで五本生えていたカオリタケが無くなったわけだ。採取したあとに僅かばかりの菌糸が白く残っている。うまくすると今年、また生えるかも知れないし、来年発生する可能性がある。私はこの菌糸を持ち帰って木に移植しようかとも考えたが、発生しない確率のほうが高いと考え、やめておいた。失敗すれば元も子も無い。誰かに採られる危険性はあるが、このままのほうが発生しやすいだろう。と言うよりこの菌は腐蝕菌なのだから、来年は間違いなく発生するだろう。

 

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