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そのC
若干うっとおしいというだけで、ヘジーナはそんなに悪い娘じゃなかったし、むしろ便利でさえあった。マナウスに着いてからも彼女は安いホテルを探してくれた。ベレンよりは少しマシな、ただし4人の相部屋で、1泊20コント(900円)の日本で言ったら木賃宿みたいなところだ。シャワーを浴びて、早速一人で散歩に出かけた。僕の肩にはショルダーバッグの小さいのがひとつだけ掛かっている。そしてそこに大切なもの、パスポートとか財布とか手帳とかが入っている。手帳は日記代わりに使っていた。
晴れていて暑い。いつもこんなに暑いのだろうか・・・。昔中学生の頃、世界地図を見るのが好きで、ここマナウスも名前だけは知っていた。特産は胡椒だったはずだ。どんなところだろう・・・と子供心に思ったものだ。当時TVでも世界を紹介する番組は数少なかったし、ましてやこんな奥地に分け入ってゆく番組など皆無だったから、想像することも難しかった。
全体にのんびりした街である。もともとブラジル自体がのんびりした国だが、それよりももっとという意味だ。道行く人の目も歩き方も、のんびりしたものだ。こんな街はきっと時間がゆっくり流れているのに違いない。みやげ物店に入り、面白い帽子があったので値札を見ると20コントだったので、
「ポージ ディスコンタール?(まかる?)」と言うと
「ノン!」と言う。
手にとった帽子を戻し、出て行こうとすると、
「デイス エ セイチ(17)」と言う。
「デイス エ シンコ(15)」と言うと、半そで姿の太ったおばさんは、両手を少し広げ、それでもいいや・・・て感じで頷く。
ブラジルではこうして値切って買うのが当たり前である。この頃はもう4ヶ月が経っていたので僕もすっかり慣れていたが、最初は値切れなくてよく定価で買ってしまったものだ。定価の付いていない物はさらに危ない。旅行者と見ると吹っかけてくるからだ。買物だけでなく、悪質なのはタクシーだ。ブラジルに着いた頃、何度も被害に遭った。たとえば100コント紙幣を出したのに、よそ見をしている間にスリカエられてしまったり、お釣りをごまかされたり。店や食堂でも気をつけていないとお釣りが少なかったりするから要注意だ。多かったためしがないから、それはやっぱり誤魔化しているのだ。のんびりしている半面、こういうことは姑息なまでにずる賢いのだが、それも旅と言えば旅なのである。
買ったばかりの帽子をかぶり、公園の木陰のでベンチに座って休んでいると、20メートルほど離れた別のベンチに腰掛けていた二人連れの男が僕に手を振っている。一人は縮れ毛の黒人で、もう一人はどうやら日本人みたいな顔をしている。
「日本人?」
二人が近寄ってきて、日本人みたいな顔をした男が、やっぱり日本語を喋った。姿からして彼らは紛れも無く「ヒッピー」に違いなかった。いや、姿形だけでなく、「人間社会を嫌ってしまうほど人間を愛する哀しさ」を彼らは漂わせていた。その一種独特な雰囲気はアメリカでは何度も会ったヒッピー達と同じだったから、直感で分かったのである。ただし、後で聞いたら、彼らも僕をヒッピーだと思ったらしい。
日本人は名前を「マイケル」と名乗った。出身は東京で、旅に出てからもう7年経ったと話してくれた。連れの黒人は、(要するに名前はどうでもいいらしくて)リンカーンといい、南太平洋のナントカという島からきたと言った。二人はメキシコで知り合い、それから1ヶ月近く一緒に生活しながら旅を続けているらしい。
「仲間ができるとやることがあるんだ・・・」
マイケルが僕に言い、リンカーンに目配せしている。何のことか僕にはさっぱり分からなかったので尋ねると、リンカーンが真っ黒の顔の中に真っ白な歯を剥き出して、ニタリと笑い、
「グラス・・・」 と小声で呟くように言った。つまりマリファナのことである。
仲間と呼ばれたことにやや抵抗感を覚えながらも、僕の心の中にはそれを断る理由が見つからなかった。人はめぐり合うべくしてめぐり合うのだ。
3人で少し港のほうまで歩き、小さな公園で待っていると白人のカップルが現れた。彼らもヒッピーだとすぐに分かった。聞くとイギリス人であった。マイケルとリンカーンはそのイギリス人となにやら小声でやり取りを交わし、やがて幾ばくかの金と引き換えに小さな紙包みを受け取ると、すぐにそのカップルはどこかに行ってしまった。
ブラジルは麻薬取り締まりの厳しい国のひとつである。捕まれば監獄行きは必死だ。サンパウロの叔父さんも僕にそれだけは厳しく言った。僕がそういうと、彼らもそれは十分承知の上で、我々はそれからバスに乗り、30分ほど揺られて山の中に行った。彼らはここに度々来ているらしく、勝手知った行動で近くの農家の庭先の東屋に腰を下ろした。農家には誰もいなくて、鶏が数羽地面をツツイている。警察どころか誰も来る気配が無かった。
「何を聞く?」
マイケルがズタ袋からカセットを取り出し、僕に聞く。
「ビートルズはある?」と聞くと
「オタクも古いねぇ・・・」等とほざきながら
「実はサンタナしかねぇんだ・・・」と笑った。その横でリンカーンが真剣な目つきで一生懸命グラスを紙に巻き込んでいる。
× × × × × × × × × × × × × × ×
彼らと別れた時にはもう日が暮れていた。結局船を調べることは出来なかった。夕食後、僕は街まで歩いてゆき、バールに入りピンガを飲んだ。また地図を広げて行程を確認していると、人のよさそうなバールの主人が地図を覗き込んだ。そうだ、このオヤジに聞いてみようと、
「テン ナビオ プラ ポルトベーリョ ヂ アキー?(ここからポルトベーリョ行きの船はあるの?)」と聞くと、
「テーン!(あるともさ!)」と陽気な声が返ってきた。
僕はすっかり嬉しくなって5杯目のピンガを注文した。ホテルに帰るとベッドに寝転がっていた相部屋の男が、僕をジロリと睨んで、またゴロリと無言で僕に背を向けた。
1月25日
昨夜少し飲みすぎた僕は10時ごろ目を覚ました。相部屋の連れの男はとっくにいなかった。カフェを飲んですぐにマナウスの港まで行く。
日本流に言えば「ハシケ」みたいな船がごたごたと浮かんでいて、それぞれの船の舳先に目的地が書かれた看板が掲げてある。「ポルトベーリョ行き」はすぐに見つかった。船員らしき人に聞くとポルトベーリョまで6日間かかり、船賃は上と下があり、上でも食事突きで160コント(7200円)、出発は今夕6時ということだった。すぐに申し込み、乗員名簿に[makoto]とだけ書き、ホテルに戻る。
12時ごろホテルに戻ると、昨日の「仲間」が僕を待っていた。彼らも相当暇である。1時半ごろまでホテルでゴロゴロしたあと、3人で近くのレストランに入り、ビールを飲み、サンドウィッチを食べた。僕が今日船に乗ってポルトベーリョまで行くつもりだと言うと、金も無いくせにマイケルはその食事代を奢ってくれた。何をして食っているのだろう・・・と思いながらも、僕は聞かなかったし彼らも言わなかった。僕らはそこで分かれた。彼らと別れの握手をしながら、
「ボア ビァージン!」と僕は言った。ブラジル語で「良い旅を!」という意味の別れの言葉だが、ここではこの言葉が一番ふさわしいと思ったのである。
ホテルに帰って、荷物をまとめていると、ヘジーナが僕に会いに来た。そして僕がポルトベーリョに行くと言うと、あろうことか、
「私もポルトベーリョに行くわ!」
とまたもや言い出した。僕は正直言ってうんざりしてしまった。それから30分、僕はまるで恋人を口説くかのごとき熱意を持って、彼女に思いとどまるよう説得を繰り返した。アメリカが素晴らしいところだと、僕は言った。マイアミもいいけどサンフランシスコもいい。絶対行かなくてはいけないのであるぞ・・・と僕は何度も何度も彼女に言った。
彼女はしぶしぶ納得した。そして実は今日ビザの取り方を聞いてきたのだが、ここマナウスでも郵便でビザが取れると聞いた。でもあと20日間(!)待ってなきゃならないらしい・・・というようなことを言った。内心僕は(それなら船に乗ってブラジリアに戻ったほうが早い)と思ったが、口では「それがいい!」と言い、彼女の肩を叩いた。マイアミに着いたら手紙をくれと、日本語で東京の住所を書いて彼女に渡した。彼女は頷いた。
ホッとした僕は荷物を持って港にすっ飛んでいった。港ではいろいろな人がさまざまな荷物を船に積んでいる。ここでは船が地域の住民の足代わりになっていることが良く分かる。またマナウスは自由貿易港となっており、つまり関税が掛からない。だから遠くからでもオートバイとか電化製品を買いに来る人でけっこう賑わっているのである。
船代が20コントしか違わなかったので、上にしたが、乗ってみると上も下も無い。排水量は分からないが、20メートル程のボロ船である。屋根のついたデッキの椅子に腰掛けて風景を眺めていると、なにやら声がしたと思ったら、船が動き出した。汽笛ぐらい鳴らせよ・・・。
しかし、さぁ・・・いよいよアマゾンの船旅だ!
× × × × × × × × × × × × × × ×
日が暮れ始めると人々はデッキの柱を利用して、ハンモックを吊り始めた。なるほど、こうやって寝るのか・・・と僕は納得した。船にはベッドも無く、下は食堂と荷物置き場であり、上は屋根のついたデッキと屋根なしのデッキだけである。一体どこで寝るのだろうかと考えていたのである。
日が落ちると、周囲は真っ暗で、岸近くを走っているのか、ごくたまに民家の明かりが見える。想像以上に大きな船のエンジン音と舳先が切る波の音、それに人々の話し声。それが全てだ。屋根なしデッキの上で肘掛の着いた安物の椅子に腰掛けて、空を眺めると満天の星。トレスマリアを見つけて、またレイラのことを思い出した。彼女は僕に「どんな髪形が好き?」と聞いた。僕はこういったことには無頓着と言うか、よく分からないので、適当に絵を書いて、「まぁ、こんなとこかな・・・」といい加減に答えておいた。僕がブラジリアに帰ったら、レイラはどんな髪形をしているだろうか・・・。多分、彼女も僕のことを好きに違いない。・・・等とあれこれ考えていると、
「ジャンター!」と声がする。夕食である。
下に下りてゆくと食堂のテーブルになにやらデカイ魚の切り身を煮たものと、脂で炒めた米の上にフェイジョンと言う豆の煮たものをかけた皿が出されている。、盛り付けも大雑把で、ただ腹が膨れればいいだろう、という感じの食事であった。食ってみると、やはりまずかった。さりとて船の上ではどこかに食べに行くというわけにもいかないから、とりあえず全部食った。食い終わって上に行く時に、調理場が見えた。トイレの横の、見るからに汚らしい調理場である。ウ〜ム。頑張らなければ・・・。トイレといえば、便器の中を覗くと下に水が流れている。つまり、アマゾン川だ。これぞ超天然の大自然式水洗便所だ。ハハハ・・・。
上に上がってゆくと、皆てんでにハンモックに入って薄い毛布をかけて休んでいる。ひとつハンモックが空いているのでそこに入って横になる。乗客全員がハンモックに入って、なおかつ誰も文句を言わないところをみると、これは自分のハンモックに違いない。しかし誰が吊ってくれたんだろう・・・と思いながらも、そこで揺られているうちに眠ってしまった。
夜中に、肩のあたりをつつかれて、目を覚ますと、人のいい顔をした男が、
「イッソ エ メウ(これはオレのだ)」とハンモックを指差している。
彼はこの船の船員であった。やはりこのハンモックは僕のではなかった。聞くと全員が自分のものを持ち歩いて旅をしているらしい。多分アマゾンの船旅では常識なのだろうが、そんなこと誰も言わなかった。
で、ワタシハ ドコデ ネムッタライイノ?と聞いてやると、船員はしばらく考えていたが、デッキの隅の長椅子を指差して、そこで寝ろと言う。毛布かなんかないのかと聞いても「ノン」である。日本はもとより、普通の国なら予備の毛布ぐらいは置いてあるのが常識ではないか。・・・しかしここはブラジル・・・と言うよりアマゾンなのだ。アマゾンにはアマゾンの掟がある。
仕方ないのでその長椅子の上に救命胴衣を並べ、こういうこともあろうかと思って持ってきたセーターを着、その上から船内を探して見つけたビニールの布を被って、寝た。もう体裁もヘッタクレもない。赤道だから夜も暑いと思ったら大間違いだ。けっこう寒い。川の上だからなおさらで、風をよけないと眠れたものじゃない。何のことはない、僕は日本人の代表どころか、まさに川原の乞食であった。ウ〜ム、頑張らなければ・・・。
1月26日
朝から雨が降っていた。
船はマディラ川に入った、と聞かされた。時速15キロぐらいのスピードでのんびりと進んでいる。耳が慣れたのかエンジン音も昨夜ほど気にならない。岸づたいに進んでいるので時折見える集落の、人々の生活が見えて面白い。
どこまでも、どこまでも、こんな風景が続く。水はあくまでも茶色く濁っている。昼に食堂に下りてゆくと、船代を請求されたので160コント払う。食堂のテーブルを見ると、なんとメニューが昨夜と同じではないか・・・。上とか下とかの船賃の違いは一体何なのだろう。それとも僕の勘違いか?。そんなことを思いながらも馬鹿でかい魚の切り身と、まずい油飯を食う。とても「食べる」という表現は出来ない。いや、「詰め込む」と書いたほうが適切かもしれない。
デッキでは皆がハンモックに入って休憩しているのに、僕は椅子に座ってなきゃならない。朝になると船員が僕の布団(救命胴衣)を片付けに来る。妙なところだけ律儀だから困る。船が沈んだってこんなに近いんだから岸まで泳げばいいじゃねぇか・・・。それに夜沈むことだって考えられるじゃないか!。ああ、その時は真っ先にオレは放り出されるだろう・・・。
ふと横を見ると片手にビールの缶を持っているヤツがいた。昨日の夕食も今日の昼も誰もビールを飲まなかったので、てっきりこの船には酒は置いてないのだと勝手に思い込んでいたのだ。僕は俄然元気を取り戻した。船倉まで降りていってビールを買うと、6コントもする。市価の倍の値段だ。これではたくさん飲めない。船に乗っている人々も飲まないわけだ。夜だけにしようと決める。
雨が上がっていい感じになってきた。ちびちびとビールを飲みながらあたりを見渡していると、一人の若造が、ハンモックで休んでいる女をからかっている。盛んに喋りかけて手を触ったりしているのだが、あきらかに女は嫌がっている。仕方のないやつだ。嫌われているのが分からないらしい。しかしさすがに何時までたっても相手にされないので、そのうち別の女にちょっかいを出し始めた。そしてまた性懲りもなく手を触りにいってピシャン!とヤラれている。こちらの(ブラジルの)女性はなんでもはっきり、断る時は断るのだ。
諦めた若造が僕に近づいてきた。女に振られて仕方なく男と話す・・・いかにもこんな感じで、僕は笑いがこみ上げてくる。他の乗客同様、彼も英語が分からなかったのでポルトガル語の会話だ。旅に使う日常会話なら大体分かっていたが、少し難しい話は分からない。もう、雰囲気と身振り手振りで勝手に想像し、お互い分かったつもりになるのである。 こんなのもけっこう楽しい。
聞くとマナウスで単車を買ってきたらしい。住まいはポルトベーリョである。ところが単車の運転が出来ないのだと言う。もちろん免許証は無い。それで一体どうするつもりなのだ。コイツ。
「運転は出来るのか?」と僕に聞くので「勿論だ」と答えると、「教えてくれ。」と言う。ポルトベーリョについたら教えてやると言うと、本当に嬉しそうな顔をした。女癖は悪いが、けっこういいヤツかも知れない。
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