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スペイン編


 あらためてヨーロッパの歴史を考えてみると、逆に「日本」という国のほうが普通でない・・・と分かってくる。古代ローマ帝国から ゲルマン民族の大移動、イスラムの制圧、オスマントルコの攻勢・・・こんな大きな制圧の歴史に飲み込まれながらヨーロッパのそれぞれの国はそれぞれの王国を何とか維持してきた、いや、その影には数多の民族の滅亡も含んで、今現在、この形に国境線が引かれているだけなのだ。今回行ったポルトガルでも 400年間スペインに併合されていた時代もあるのだ。フランス、イタリア、スペイン、ポルトガルはいわゆるラテン系の民族だが、そのラテン系の民族自体が長い歴史の中で混血している。ヨーロッパだけでなく中国大陸や北米南米大陸も同様にあらゆる征服の洗礼を受けて今がある。二千年以上も同一国家である日本など世界でも稀な国であると同時に、その日本の価値観や道徳で世界の国々を判断することの危うさを感じる。

 ポルトガルとスペインの国境を越え、セビーリャの街に着く。ここで昼食だ。唐突だがポルトガル人の平均月収(手取り)は12〜3万円、スペインは世界の経済統計では30万を越えているが、実際石を投げて一番当たりやすい人々の月収は15〜6万程度であるらしい。言いかえれば貧富の差が激しいということだが、逆にこれも日本のほうが貧富の差がなさ過ぎるとも言えるようだ。

 昼食で出たにんにくスープの作り方をガイドに教えてもらった。にんにくとオリーブオイルを焦がさぬように炒める、水をいれ、塩と固形スープとパプリカを加えて温め、最後にチーズを乗っけたパンを軽くトーストし、食べる直前に器にに放り込んで出来上がり。ニンニクのニオイ消しとして、まず生ニンニク片を包丁で二つにして中の芽を取る。そして30秒ほどレンジにかけてから調理すると臭くないと言う。ポルトガルもスペインも概してアッサリ味で調理も簡単・・・シンプル料理が多い。日本人にしてみたら「ダシ」の部分でもう少し工夫が欲しいところだ。少し旨味に欠けると思う。

 街のいたるところにオレンジの実が鈴なりに生っている。これが白い壁とマッチしていてなかなか印象深いが、このオレンジは不味くて食べられないらしい。下の写真ように葉の軸の部分にもう一枚の小葉があるが、これが不味いオレンジの見分け方らしい。甘いオレンジにはこれが無い。

 食い意地の張った私はどれくらい不味いかを試食してみた。食べて一瞬・・・酸味が多く、甘くないだけで、特段食えないわけじゃないぞ(ユズとか夏みかんの酸っぱいヤツ)・・・と感じたが、そのうち舌の奥で苦味に気づいた。そしてその軽い苦味がけっこうあとまで尾を引く感じである。ま、確かにもぎ取って食うほどのものじゃない。

 セビーリャの大聖堂。11世紀ごろの建築だが、この頃にレコンキスタと呼ばれる国土回復運動がヨーロッパ各地に起き、その後何百年もかけて今の国土になったのである。変革の歴史が長すぎて新国家の誕生は遅いのだが、ユーラシア大陸の動きそのものが大きく言えばヨーロッパという国と民族の歴史であると考えたほうが分かりやすいだろう。

 良く観光地で見られる馬車

バールの風景・・・ラテン的な顔ですね

 セビーリャからマラガに向かう途中・・・この地方最大のオリーブ畑を通る。見渡す限りのオリーブ畑だ。世界の70%を産出しているらしいが、スペイン人は宣伝が下手で、オリーブというとイタリアが頭に浮かぶ人が多い。宣伝だけでなく商売もそんなに好きでなく、何よりも好きなのは話すことと食うことらしい。話の内容もどうでもいいことばかり・・・などと面白おかしくガイドがスペイン気質を説明してくれる。20年ほど前にこちらに暮らすようになった日本人ガイドだ。ダカールラリーに詳しいのでツアーに呼ばれたガイドだが、ラリー以外のガイドでもその独特の口調が面白かった。オリーブ以外の畑はオレンジとブドウが目に付いた。有名なイベリコ豚もこの地方の特産だ。どんぐりの木の実を主食に育った豚の生ハムは2年物だと100gで2600円もする。イベリコ豚自体は肉の赤身が強く、比較的さっぱりした味だが、生ハムにすると絶妙に旨い。生ハムもただ切って食うだけではなく、室温でトロリと溶け始めたところを食するととても旨いということをレストランで偶然知った。

 マラガのホテル前の出店。今日はクリスマスではないが、昔からスペインでは東方三銃士(字が違うかも)が子供におもちゃを持ってくる日なんだそうだ。だからおもちゃが一杯並んでいる。どれもチャッちいので買わなかったが。

 次の日の朝の写真。ホテルの前の港に朝食後散歩に行った。この旅で一番の写真が撮れた。夜明けの遅いこの時期だから撮れたとも言える。この朝焼けが朝7時半だ。このマラガの夜明けは今私のPC のデスクトップを飾っている。

志摩英虞湾の海賊船より精密に作られた観光帆船(木造)

マラガからグラナダにあるアルハンブラ宮殿に向かう途中の風景

国道のサービスエリアにも豚の生ハムが並ぶ

 グラナダのアルハンブラ宮殿は入場券に時間まで書いてある。一日に何万人かの観光客の押し寄せるゆえの苦肉の策だが、1時に申し込んだら2時半という返事が来たと添乗員が言っていたのだが、さあ入ろうと入場券を見ると3時半であった!。誰の手違いか知らないが我々はごくゆっくりと・・・写真の庭園などもつぶさに見ながら宮殿に入る羽目になった。

まさにイスラムは石の文化だ

贅の限りを尽くした中庭のホンの一部

これも庭のごく一部

美しい建物、石の使い方が絶妙です

石を切り抜いて柱にしてある・・・

宮殿の搭の上から見たグラナダの街

この統一された町並みの美しさは東アジアではみられない景色だね

 やっと入れたアルハンブラ宮殿。その前にすでにその雄大さと建築の華麗さに度肝を抜かれているので、中に入る頃にはもう感動の感覚が薄れている・・・ははは。しかし富と権力はいかに壮大な物を生むかという大事例であるが、その富と権力をしても 買えなかったものが時間である。このアルハンブラ宮殿は完成までに200年。この王室だけでも90年の歳月がかけられたという。気の遠くなるような時間だし、計画した頃の王は当然完成を見られないわけで、何だか妙な感じもするが、イスラムの絶対神はアラーであり神は永遠不滅のものだから・・・つまりいつ出来ても同じなんだから・・・時間というのは関係ないらしい。つまり現世に囚われていてはこんな宮殿は出来ないわけで、そういえばヨーロッパ各地に、あるいは世界中の遺跡にも同じような時空感覚で造られたものがあるね。ふむふむ・・・となんとなく納得。

壁にはアラビア文字が(右から読んでね!(笑))

ドアひとつとっても組み木細工が施されている

中庭

 そりゃもうここまで来れば誰がなんと言おうと世界遺産でしょうね。アラブの王様が国土回復運動に敗れてこの城を跡にして逃げ出した時、ぶっ壊さずに逃げてくれたおかげで後世の人々が今見ることができるわけで、お陰で観光客も一杯来て・・・要するにグラナダって町も伊勢で言ったらお陰横丁みたいなとこなんですよ。

青空に感謝

 この観光を最後にパリダカールラリーの旅行はおしまい。どこがパリダカなんだ!とは皆さんだけでなく我々もそう思います。ま、来年は開催されることを祈りましょう。最後になんとなくいい雰囲気のスペイン郊外の写真です。


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