1/16(土)

 昨年ハイナン島に行くのにセントレア(中部国際空港)からの出発を選んだため、当日インクとヨーコたんは名古屋まで新幹線で来なければならなかった。 今回はそのお返しで成田出発としたため、私とじょしゅが東京まで前日に行くことになった。どうせ行くならついでに誰かに会おうと、久しぶりに花山荘(宮城県)から東京に帰ってきていたsonetaに電話する。ヒマを持て余している 彼はもちろん即座にOK。昼飯を一緒に食うこととなった。 出発の日の岐阜は大雪。その後市内で20cm以上積もったらしい。新幹線も1時間近く遅れ、早くホームに到着した「のぞみ」に乗って出発した。

 

 脱サラをして一年のほとんどを花山荘で暮らすsonetaは「なんとか自給自足ができるように」を目標に揚げて主に農業に勤しんでいる。と言って彼はもともとがお気楽生活大好き人間で、本質的にがむしゃらな努力や頑張りが嫌い・・・ときているのでなかなかうまくいかない。頭に浮かぶいろんなアイデアと実行の狭間でやや焦っている今日この頃であるらしい。 今の時期花山荘にいると雪かきばっかりしなきゃならんので、雪の無い東京に里帰りしている・・・こんな感じで、ある意味大変分かりやすい人間だ。3時ごろsonetaと 別れて東京駅から成田EXPRESSで成田空港へ。一時間もかからず到着。途中、建設中の東京スカイツリーが見えた。空港近くのホテルのプールで泳ぎ、ぐっすり眠る。荷物は予め宅急便で空港まで送ってある。便利になりましたね。


1/17 成田発→ミラノ着

 朝空港の出発ロビーに行くと、「お〜っ」と言いながら(ヨーコたんならまだしも)インクが抱きついてきた・・・ま、しかしけっこう久し振り・・・8ヶ月ぶりくらいか?。そして「 おいおい、誰がイタリアなんかに行こうって言い出したんだよー」といきなりゴネ始める。だいたいインクというのは海外旅行、それもヨーロッパって柄じゃない。海でアワビを密漁をしたり北海道で可愛い小鹿のバンビを撃ち殺したりするのが好きな獰猛な人種なのである。今回のイタリア行きもヨーコたんが行きたがったので仕方なくくっ付いてきた・・・というところなのだろう。

  ヨーロッパ方面に飛ぶと・・・一日が長い。朝出発して12時間近く飛んでもその日の夕方に到着してしまう。時差は8時間。食事も4回食うことになる。今回は 比較的安価なビジネスクラスのためか 直行ではなくチューリヒ経由となり、そこから約一時間のフライトでやっとミラノ空港に降り立った。 私の場合、5時間以上をエコノミークラスの座席で耐えるのは限界がある。旅の疲れが大きく違うのだ。しかし通常料金でビジネスを買うとけっこう高いので、いろいろ安い飛行機やツアーをネットで探しているというわけだ。

 

 ホテルが郊外だったので夕食はホテルのレストランで軽く食べることにした。リゾットとパスタ、野菜サラダを注文したらレタスが異様に苦かったなぁ・・・ユーロは出発時110円ほどだった。一時150円を超えていたことを思うと安くなったもんだ。円高を享受するにはやっぱり輸入と海外旅行だよね。 夜10時に寝る・・・日本だと朝の6時・・・起きる時間だよ〜。

 


1/18 ミラノ→ベネチア

 旅程によるとミラノは中心部をさっと見学して今日中にベネチアに行くらしい。ツアーのつまらんところだ。自分がゆっくりしたいところでゆっくりできない。世界遺産のミラノ大聖堂・・・あとでいろんな街に行くたびに姿を現す 各地の大聖堂(duomo)・・・どれもこれもが気が遠くなるような時間と人々の努力で造られたものだ。それにしても白い大理石が美しい。

 

 昼はミラノの街を歩いてレストランに行く。まあまあのリゾットとミラノ風カツレツ・・・旨くもない薄いトンカツ。多分日本人ツアーに合わせて量が少なめに作ってあるようだ。横のイタリア人の食事とはインパクトが違う。ゆうに500グラムぐらいはありそうなTボーンステーキに皿一杯のフライポテト、さすがに最後は少し食い残していたが、ワインを飲んでいなかったところを見ると近くに勤めるサラリーマンの食事だろう。こうして食事を決められてしまうのもツアーの面白くないところだが仕方がない。

 

 昼飯を食って2時過ぎにバスに乗り一気にベネチア方面に走る。暗くなる頃にパドヴァという街に寄り、もう夕食だ。出てきたイカ墨パスタもNG。なぜイタリアまで来てこんなクソまずいパスタを食わねばならないのだ?。旅行社も少し考えて欲しい。それにしてもレストランが空いているなぁと思うが、これは時間帯が日本と違うためだ。日本の食事のゴールデンタイムは7時だが、こちらは9時ごろが一番賑わう時間だ。そういえばスペインも同じである。これは多分に昼食時間の違いも影響している。こちらの昼食は昼過ぎから3時くらいにゆっくり食べる。だから夕食時間もずれるのである。

 食事後再びバスで一時間ほど走り、ホテルに着く。このホテルも郊外で・・・つまりこのツアーは飛行機こそビジネスクラスだがあとはエコノミークラスの旅行だったのだ。道理で安いとは思ったが、後の祭り。これからはもう少し調べて申し込まねないとね。


1/19 ベネチア

 今日は昔から行きたかったベネチアが見られるということで楽しみにしていたのだが、出発からなんと濃い霧がたち込め、おまけにかなり寒い。雨こそ降っていないが、お天気男の私の今までの旅行で最悪の天気で・・・少しめげた。ベネチア中心街は車の乗り入れが禁止なので、駐車場から写真の船に乗ってサンマルコ広場まで行く。

 大昔イタリアがジェノヴァ、ミラノ、フィレンツェ・・・などという国に分かれて領土争いをしていた頃に、その天然の良港を利用して交易をして富を集め隆盛を誇ったベネチア 。いわば水上の要塞都市だ。こんな街は世界中にも珍しい。街はあらゆる運河で分断され、道も狭い。もちろん侵略に備えているからだ。 15世紀頃からオスマン帝国の侵略で勢力を削がれ、没落したが、そんな歴史を持つ独特の街が現代においてはどこにも見られない素晴らしい景観を我々に提供してくれている。

 

 まずサンマルコ広場から観光ゴンドラに乗る。狭い水路をゆっくりと操船して行くが暖かい日なら最高の気分だろう。「もう少し若い人が船頭さんだったら良かったのにね〜」とヨーコたんが不穏な発言。年齢は別にして、確かに歌を歌うでもなく、愛想の無い船頭ではあった。悪口も平気で言えるので気楽だが、こちらのこともどう言われているか分からない。

今は満潮・・・最近高潮でよく水没するらしい

 以前夏にここに来た人と同乗したが、夏場は水が臭かったそうだ。生活廃水が流れ込んで・・・そりゃそうだろうね。しかしこの水とレンガが織り成すなんとも言えない景観はまさに「異国」を感じさせてくれる。そしてそこに息づくのは長い時間だ。石の文化が長い時を経て歴史を刻む・・・日本には無い景色が我々の心を打つ。

 

  ベネチアングラスも有名だ。16世紀以降、貿易港としても没落したベネチアが生み出した製品である。製作する様子も見ることができた。装飾の施された美しいグラスは金属にぶつけても割れない強靭さを持っている。ベネチアの街を気に入ったので、 グラスセットを実用と飾りに送ってもらうことにした。今日は自由行動だったのでインクたちと4人でベネチアの街を散歩する。昼飯も自分たちでレストランを選び、入った。

お洒落な街灯

入ったレストランで・・・意外と大胆なヨーコたん・・・横でインクがハラハラしている

 

ベネチアと言えばカーニバルの仮面も有名・・・いたるところに売っていました

どこを切り取っても絵になる街です

 

コロンボというのがイタリア出身だということを確認しました

今私のPCのデスクトップを飾っている写真です

 

 やがて夜になり、ベネチアの夜景が目を楽しませてくれます。上の右の写真、なんだか大きな写真の前に立っているようにも見えますが、背景は本物です(笑)。「イタリアなんて!」と言っていたインクですが、なんとなく満足そうにも見えますね。昼に腹一杯食べたせいで4人とも夕食はホテルで、じょしゅが日本から持ってきたレトルトのお粥にしました・・・暖めるものが無かったので洗面所の熱湯で暖めました。本当に食えなくなった・・・やっぱ歳だなぁ・・・。

それにしてももっとゆっくりしたかったね。ベネチアを見ずしてイタリアを語る無かれ、と言っても過言ではないだろう。もう一度行きたいと思う。


1/20 ベネチアからフィレンツェへ

 朝、ベネチアを発ち、再びバスでフィレンツェに・・・途中の峠で天気は雨から雪に変わり我々を気落ちさせたが、峠を過ぎると晴れはじめた。 上の写真は下のダビデ像のある展望台からの眺めである。

 フィレンツェ・・・芸術の町、レオナルド・ダ・ビンチ、ベッキオ橋・・・あとなに?そうそう、南西にピサの斜塔もあります。 ここにはインクの知り合いの娘さん(yumikoちゃん)が住んでいて、今夜我々と同じホテルに泊まり、自由行動の明日はレンタカーで近郊を案内してくれることになっている。女一人でこんなところで何やってんだ・・・って?それはお楽しみということで・・・。

 昼に着いてバスを降り、川沿いに歩いて中心街に向かう。それにしても街並みが落ち着いている。石で作られて(建物や窓枠の)色も決められているのはもちろんだが、そればかりではなく、まず電信柱が無い、そしてケバケバしい看板がまったく無いからだ。この二つを取 り去っただけでずいぶんとスッキリするものだ。日本もなんとかなりませんかねぇ。日本人向けだがなんとなくまともな昼食。イギリスもそうだがイタリアもトイレが少ない。客が多いと特に女性トイレはごった返す。レストランならいいが、街角にも公衆トイレが少ないので、わざわざBAR(バール)などの店に入ってcafeを頼み、用を足すことも多い。

 

  

 フィレンツェで見るものはやはり美術館だ。ウフィツィ美術館ではあの有名なボッテチェリの「ビーナスの誕生」やら「春」 が、そしてダビンチの書いた宗教画の本物 を見ることができた。残念ながら撮影禁止なので写真は無いが、その博物館でインクが何度か柵より作品に近づきすぎて警告を受けていたことだけは書いておこう。後でインクの写真を見ると盗撮も行っていた模様である。インクにはボッテチェリより下のお土産パンツのほうがよほど似合っている。その時は気付かなかったがインクはこれを購入したらしい。

 インクはさておき・・・フィレンツェのドゥモも素晴らしい装飾が施された建築だった。どの街にも何百年も掛けて造られた聖堂があり、街のシンボルとなっている。美しいだけでなく、街で暮らす人々の心の支えとなっているのだろう、きっと。

  ゴチックの高い天井に描かれた宗教画・・・昔は大多数が文盲で、そのために例えば(というかほとんど)キリストの生涯を目で見ただけで分かる絵で表現したのだろう。それにしてもこんな高いところで上を向いて・・・ よくもこんな上手に(!)絵を描くものだ。ステンドグラスもしかり。じっくりその気になって見ていると、だんだんその重圧に耐え切れなくなってくる。それはきっとその作品の製作に掛けられた気の遠くなるような集中力と時間を感じるからだろう。

 ウフィツィ美術館から見たベッキオ橋。このアルノ川に掛かるこの橋は14世紀半ばに建築され、その名も「古い橋」っていう意味だとさ。残念ながらここは時間の関係で歩けなかった。その後革製品の店で少し買い物をして、バスでホテルに帰る。フィレンツェの夜景。

 フィレンツェから車で30分ほど離れたプラトのホテルではyumikoちゃんが到着していた。夕食はホテルのレストランだったが、パック旅行の食事に飽き飽きしていた我々は即決で食事をキャンセルし、彼女にプラトの街のレストランに連れて行ってもらうことにした。イタリアに10年住んでいる彼女はもちろんイタリア語ペラペラ・・・メニューも今夜のお勧めを主人に聞きながら通訳してくれるのでありがたい。我々としてはやっとネイティヴイタリアンの食事にありついた!って感じ。

 

 彼女の職業は(サッカー好きが高じた)写真家である。自分でサッカーもやる。イタリアに所属している日本人のプロサッカー選手の写真を撮って 日本に送っているのだ。つまり以前だと中田(ペルージャ)や中村俊輔(レッジーナ)、最近では森本(カターニャ)と長友(チェゼーナ→インテル)がいる ね。以前代表の小笠原の写真を撮っているうちにだんだんその目に惹かれ、気持ちが移ったと思い出話もしてくれた。 最近は(不況で)新聞の予算が減って昔ほど収入が無いとぼやいていたが、それでも重いカメラを抱えて元気に頑張る、爽やかでクールなシングルねーちゃんである。年齢不詳。


1/21 フィレンツェ近郊

 最初シエーナの街に連れて行ってもらう。フィレンツェの南の山中にある古い街である。 パーリオと呼ばれる裸馬レースでも有名な所らしい。着いたとたん、勝手な思い込みで行動したインクが行方不明になり、捜索の末、発見したヨーコたんに 「ここで待ってるって言ったでしょ!ちゃんと待ってなきゃダメじゃない!」と、こっぴどく叱られている。会って以来(多分それ以前から)まったく成長の見られない小学生みたいなオッサンである。

 

 上の写真の左側のカンポ広場でレースが行われる。この街はイタリアの金融都市でもあるらしく、現役では世界最古の銀行があるらしい。中心の広場から放射状にゆるい坂道の石畳の道が伸び、こじんまりした古い町並みが続く。ここの聖堂も白く美しい。

 

 こんな小さな街をのんびり散歩するのは楽しい。時々店に寄ってショウウインドウを眺めたり、ネクタイを買ったり、アイスクリームを舐めたり、ああでもない、こうでもないと喋りながら非日常の景色の中に我が身を置く・・・若い頃の旅とはまったく違う、ゆったりとした余裕 も楽しいものだ。こんな石畳を歩いていると、昔のブラジル旅行を思い出す。何を探しているのかすら分からず、ろくな食い物も食わず、ただ無我夢中で安宿に泊まり、歩き、船に乗り、バスに乗って・・・各地を回った割には景色や人々の暮らしなど楽しむ余裕は無かった気がする。では一体何をしに行ったんだろう・・・と 今更思う。多分私は当時、自分を試したかったんだろう。自分がどこまでやれるかを。だから今のように外国を楽しんでいなかった・・・いや、楽しめなかったのだと思う。

 昼食はyumikoちゃんにオリーブ畑の丘の上にある素敵なレストランに連れて行ってもらう。言い忘れたが彼女、写真撮影は上手なのだろうが車の運転は、はっきり言ってヘタである。昨日の夜もプラトの街で2度エンストしたし、ここに来るまでに2、3度道も間違えている。日本と比べると貧弱だが一応ナビもついているのに・・・そのたびに焦ってなにやらひとり言を喋りながらユーターンしたりバックしたり・・・何度も私が替わろうかと思ったが、彼女以外が運転して事故を起こすと保険がおりないらしく、断念したのだ。それに運転がヘタなわりには、けっこう飛ばす・・・インクに言わせると父親譲りの運転らしいが・・・そんなわけで助手席に座らされた私は冷や汗を何度もかかされたが、ま、なんとか無事に到着した。

 

 

  イタリアに来てレストランに入って知ったのだが、我々が主食だと思っていたピザ、パスタは第二の前菜に過ぎない。どのレストランもパンとオードブル、パスタ(ピザ)、主菜、デザート、最後にエスプレッソである。ピザはレストランにもよるが 無い場合もあるし、その種類も割と少ない(日本のほうが種類が多い)。パスタの種類はさすがに多いし日本でポピュラーな細長い「麺」以外に変わった形のパスタが一杯ある。チーズはパルミジャーノが主で、旨い。この日の主食は肉。二人前が1kg近くあるTボーンだ。雰囲気のある女将が自ら切り分けてくれる。

レストランの周囲の風景・・・オリーブ畑が広がる

 

 意外と少ないのが生野菜。サラダはもちろん頼めば出てくるが、他のテーブルを見渡してもサラダを頼んでいる人が少ない。イタリア人は野菜嫌い?それとも日本人が野菜好き?。コーヒーはもちろんエスプレッソ。Cafeと頼めばエスプレッソが出てくる。Cafe Americano と頼むとエスプレッソにお湯を足して出てくる・・・これは不味いし、作り方も間違っているが、基本的にアメリカンコーヒーを飲まないイタリア人にはどうでもいいことらしい。エスプレッソには砂糖をタップリ入れて飲む。これはブラジルも同じだ。これに慣れると、この濃くて甘いコーヒーを飲まないとコーヒーを飲んだ気がしなくなるのである。 この店のオリーブ油の一番絞りを買って帰る。

 午後、食事の済んだ我々はyumikoちゃんの運転でピサに向かった。その途中、上の写真の肉を食べ過ぎた(といっても一切れ半)ヨーコたんのおなかが痛くなり、フリーウエイを降りてスーパーのトイレに駆け込んだのだが、そのため到着時間が少し遅れた・・・ところがそれが大ラッキーとなり、下の写真が撮れた。「夕日に輝くピサの斜塔」・・・この数分間の美しさはある意味何にも変え難い・・・ヨーコたんのウンの強さが生み出した美しい写真をどうぞ。(バカ〜そんなこと書くなぁ!・・・ヨーコ)

 

 きれいでしょ?斜塔を押したり支えたりしてはしゃぐ二人のオバサンもきれいですけどね・・・はいはい。案内をしてくれたyumikoちゃん、貴重な時間をありがとうね。今度長友の写真を撮ったら3番目ぐらいに出来のいい写真でいいから送ってね。彼女のおかげで退屈なツアーから抜け出すことが出来た。


1/22 フェレンツェからローマ

 朝、ローマに向けて出発。天気は曇りから雨模様。途中の風景も晴れていたらもっと気持ち良かったろうが、こればっかりは仕方が無い。このバスの中で、私は明日の予定をキャンセルすることを決めた。今日は昼にローマに着き、明日はナポリとポンペイに日帰りツアーの予定である。往復600km以上もある長時間のバス旅行ははっきり言ってもうたくさんだった。ナポリはこの次また来るとして、明日明後日とローマをゆっくり見学したほうが疲れないし楽しいに違いない・・・と感じたのである。

 昼食をローマ近郊でとり、バスはローマ市内に入り、バチカンの入り口で停まった。まずはバチカン見学というわけだ。バチカン市国は人口800人弱で面積もごくわずかなローマ市内の国だが、なんといってもローマ帝国時代からのキリスト教(カトリック)の総本山であり、サンピエトロ大聖堂にはルネッサンス期、あの ミケランジェロの描いた「最後の審判」がある。これはやっぱり見ておかねばならないだろう。一応別の国なので簡単な荷物検査とパスポートを見せて入国する。ちなみに出口は広場で開放されていて、簡単な柵があるだけだ(写真下)。

最後の審判の描かれた礼拝堂だけは写真撮影禁止なので写真は無いが、その前に続く回廊は撮影OK。とんでもない過去の力作がとんでもない数陳列され、描かれている。床ひとつとっても大理石の精密な組模様で造られ・・・天井の立体的に見える絵画はいわゆる「だまし絵」で、立体に見えるように描かれている。その美しさと迫力には圧倒されっぱなしで・・・やや疲れてくる。最後の 審判は壁際の椅子にじょしゅと並んで座り、ゆっくりと眺めた。

 

 この作品や聖堂を創り上げてきた人々からしたら、トムハンクス主演の「ダビンチコード」「天使と悪魔」などは大変な問題提起の作品だと感じるのだろう。日本人には少し理解し難い作品だったが、こうやって現場に立つと、それがなんとなく分かる気ようながする。ただ、どちらにせよ、私はもう宗教画には疲れ始めていた。

 

 バチカンを出て観光客でごった返すトレビの泉へ・・・念じながら背中を向けて肩越しに後ろに硬貨を投げ込むと願いが叶うらしい。恋人と一緒になりたかったら2枚、別れたかったら3枚投げるんだって・・・と説明を聞いていたじょしゅが言ったので、5枚投げてやった。もちろんじょしゅと別れて若いねーちゃんと一緒になれるように、という願いを込めて・・・ウソウソ、ウソです、冗談です よ!。

 

 スペイン広場の階段。映画「ローマの休日」でオードリーヘップバーンがアイスクリームを食べた場所・・・らしいが今は飲食禁止だってさ。食事をしてホテルに帰り、明日のナポリツアー不参加を添乗員に告げた。


1/23 ローマでオペラを観る

 朝9時ごろ、ホテルでタクシーを呼び、近くの地下鉄駅まで行く。ローマの地下鉄は2本しかなく覚えやすい。ところが駅で乗ったとたん楽器を持った二人の男が乗り込んできて、ギターとフルートで演奏を始めたのだ。ギターにはなんとアンプまで繋がれていて、けっこうな音量だ。さすがイタリア!と最初は思ったが、乗客を見ると皆そ知らぬふりをしている。これが単なるパフォーマンスなら皆が無視するということは無いだろう・・・つまりこれは演奏を聴かせて金をせびる段取りに違いない、さてどうするかなぁ・・・と思っていたら、すぐに二人の鉄道警察が男たちに近づき、なにやら話し始めた。「お前ら、ここでそんなことやっちゃイカンよ!」と言っているのがなんとなく分かる。次の駅で男たちは渋々降りていった。

 

 

 次の駅でも乗ってきた一人若い男がギターでベサメムーチョを歌い出したが、歌が終わった頃に今度は乗客のオバチャンが男に「さっき二人の警察が来てあんたみたいな人を降ろしたわよ、あんたも捕まるから止めなさい!(多分こんな感じ)」と直接説得した。若い男は素直に次の駅で降りた。・・・ううむ、なんとなく面白い。警察も、オバチャンも、流しのオッチャンも若人も・・・イタリア人ってけっこう面白いじゃないか。

 ところで今日じょしゅは日本から持ってきた和服を着ている。これを着ていると周りの人の反応が結構面白い。遠慮無しにジロジロ見る人や、こっそり見る人、そして何もしていないのに[ARIGATO!」と声をかけてくる人・・・日本の服だということはイタリア人も分かっているみたいだ。イギリスでもそうだったが和服を着ているととにかく目立って少し恥ずかしい部分はあるが、逆に安全性が増すところもある。つまり、(こんなところでこんな服を着ているヤツは)尋常でない特別な人間に見えるのだろうか、変なヤツが寄ってこないのである。ひょっとしたらじょしゅは日本のマフィアに見られていたのかもしれない(笑)。

  ローマ中心部の景観は他の都市と違って特異な雰囲気をかもし出している。ベネチア広場という街のど真ん中に旧ローマ帝国の遺跡がゴロゴロと存在している。とにかくこのあたりは掘れば何かが出てくる・・・という状況で、当然今も発掘が続いているのだが、地下鉄の増設もゆえに困難であるらしい。もちろん賛否両論はあるらしいが、だからこの都市にあって地下鉄の本数が極端に少ないのである。しかしある意味それは観光という観点から見れば素晴らしいとも言えるわけで、年間相当数の観光客でいつも賑わっているのである。

ここでも一緒に写真を撮って!とお願いされるじょしゅ

 

 フォロ・ロマーノ(旧ローマ帝国発掘現場)も歩いてみたが、紀元前から続いたローマ帝国の遺跡群はさすがになんともいえない雰囲気である。想像すら難しい遠いはるか昔に思いを馳せると、逆に人の本質が見えてくる。何千年も変わらない人の本質・・・文明文化の発達で賢くなったと思っているのは多分錯覚なんじゃないか?なんてね。

 これがローマの中心街のすぐ隣にあるってのが凄いよね。これがローマという都市の底力です。コロッセオの近くのレストランでピザとパスタで食事。両方とも美味しかったです。少し寒かったけど、外で食べました。

 

 さて、3時過ぎまでそんな具合にブラブラして、オペラ座に向かいます。来る時にもう券は買っておきました。たいていは7時とか8時から始まるらしいのですが、今日は4時半からのオペラがあったのでそれにしたのです。これなら7時半に終わるので帰るのもらくだから。"A VIEW FROM THE BRIDGE"というオペラで、買う時に「あれ?英語?」と思ったのですが、その時はあまり気にも留めずにいたのです。

 

 開演前のオペラ座・・・結構な人がいます。撮影は禁止ですが、開演前に携帯で写しました。正装して見るのが常識だったオペラも最近は緩いらしく、それでも良い席の時はちゃんとした服装が良いそうです。券を買ったのが早い時間だったので席は中央で良い席だった。私は一応シャツとジャケットは着ていましたが、下がジーンズで、これは多分失格です。じょしゅは問題なくOKだから、ま、いいか!って感じ。見る前はどうせイタリア語だし訳分かんないから雰囲気だけでも楽しもうと思っていたのが、始まってみるとなんと英語。逆に舞台の上の小さなスクリーンにイタリア語の字幕が出ている。で、なんとなくではあるが歌っている内容も分かり、それなりに面白かった。オペラ歌手の声量ある歌声はさすがに格調高く、迫力満点でした。日本では見たこともないオペラ(演劇も含め)だが、イギリスのミュージカル同様、いきなり本場の本物を見てしまうのは幸か不幸か・・・

 夕食もピザとパスタ。もともとイタリアン好きの私たちだからまったく苦にならない。ホテルでテレビをつけると、どう見ても日本のなんとかレンジャーのパクリみたいな番組をやっていました。イタリアの子供も夢中で見てるんだろうね。TV番組はクイズなんかも多いが、ニュースはさすがにヨーロッパだけあって他国の動向のニュースが多い。国同士が影響しやすいからだろうね。インクに連絡をとると、どうやらヨーコたんが発熱したみたいだ。ナポリ強行軍が祟ったんじゃないか?


1/24 ヨーコたんローマの休日

 朝、朝食会場に行くと、インクが一人ぼっちでコーヒーをすすっている。ヨーコたんが39度近い熱があって寝てるという。「じゃあインクは今日はホテルで看病だね」と言うと「いや、一緒にローマに行くよ」と言う。私なら絶対熱のあるじょしゅのそばについて一日中あれこれと看病を続けるに違いない・・・インクは薄情なヤツである。「あたしローマにある真実の口に手を突っ込む写真だけは絶対撮るの!」言い続けてきたヨーコたんを置き去りにしていくと言うのである。こんなヤツでないと小鹿のバンビは撃ち殺せない。私なら絶対じょしゅを置いていけなかっただろう。私なら・・・(え〜かげんにせんかい!)

 結局3人であっさりヨーコたんを置き去りにしてローマ見学に出発。今日のことを考えて真実の口とコロッセオは残してあったのだが。今日はテルミナ駅でなく、コロッセオの手前のチルコ・マッシモ駅で降りる。昨日歩いたせいで結構方向感覚が分かり、地図がだいたい頭に入っているのだ。 下の写真。ここでインクが奇怪な行動に出る・・・突然ポケットから笛を取り出し「ピーッ!」と吹き、土手の向こうで犬を連れて散歩していた人に両手を振るのである・・・向こうの人もびっくりして立ち止まり、こちらを見ている。最初に笛を吹かれているし、遠いのでだれか分からず・・・何か注意されているのではないかと勘違いしたような感じだった。私は恥ずかしくなってそっとインクのそばを離れた・・・何を考えているのか私にもさっぱり分からなかった。実に不思議な人間である。

 最初に「真実の口」に行こうとするがなかなか分かりにくい。地図には「真実の口広場」とあるのでなんとなく公園みたいなところがあってそこにドカンと置いてあるんだろう・・・ぐらいに思っていたのが、実は広場の横の教会の建物の中にあったからである。 中で1ユーロを寄付箱みたいなものに入れて、写真を撮る。一人ワンショットにしてくれと書いてあるのは観光シーズンなどは混雑するからだろう。

 嘘つきは手を咬まれる・・・らしい。万が一を考えて私はやらなかった。ブラブラと写真をとりながらベネチア広場からコロッセオに向かう。途中焼き栗を買うインク。香ばしくて美味しかった。

 

 コロッセオ・・・建設が西暦75年だというからとんでもない昔だね。ここで剣闘士と野獣、または剣闘士同士の殺し合いがあったのだ。数百人の剣闘士が命を落としたらしい。残酷はもちろんだが、見てみたい気もする・・・よね?しない?。

 インクはコロッセオより若い女性に興味があるらしく、身振り手振りでお願いし、じょしゅを使ってこんな写真を撮っていました。どこにいても同じ行動をするインクに乾杯しましょう。 下の写真は昔オリンピックのマラソンででアベベがゴールしたという凱旋門で、コロッセオの横にあります。

 

 小腹が空いたのでピザを食べ、年賀状を今頃ポストに投函するじょしゅ・・・。途中で屋台市場なんかを見ながら、テルミナ駅までブラブラと歩いてゆきました。昨日と今日で私はもうローマ市内の案内が出来ると思います。

 

ぶっ壊れたベンツスマート・・・駐車場事情からこれがけっこう都市部では売れています

テルミナ駅前の古本屋街

バイクも多いがほとんどスクーター・・・ハーレーはごくわずか

 ここで夕食を食べて帰ると・・・さすがに置き去りにされたヨーコたんが可哀想だと、テルミナ駅の地下スーパーで食料品を買い、ホテルに戻ることにする。地下鉄に乗ろうと出発直前のブザーの鳴る列車に飛び乗ったら、どんくさいじょしゅとインクが乗り遅れた。ま、次の列車に乗ってくるだろうと降車駅のEURフェルミのホームで待っていると、次の列車もその次の列車でもその次でも降りてこない・・・???・・・なんだなんだ!地下鉄は一本だからこんなはずは無い、間違えようが無いのに・・・。

 途方に暮れて待っていると、パシッとフラッシュが光ったのでそちらを見ると、なんと反対側ホームに二人が立って手を振って笑っている・・・なんじゃ、コイツら!駅を通り過ぎ、次の終点まで行って戻ってきたらしい。最後の最後まで人騒がせなヤツらである。買い物袋をぶら下げ、電車の来る方向を眺め健気に待つ私・・・腹が立つほどにこやかに手を振る二人。

 タクシーで帰る予定だったが、地下鉄とバスは共通券なので、駅前に止まっていたバスにホテルまで行くかを尋ねて乗り込む。初めてのバス利用だ。運転手だけでは不安だったので座っていたおじいさんにもホテルのアドレスカードを見せて、ここを通るかを確認すると、大きく頷きながら外の建物やら公園やらの説明までしてくれる・・・イタリア語だったのであんまり分からなかったが。最後に運転手にも「ちゃんとホテルの前で降ろしてやってくれ!」と声を掛けてから自分も降りていったが、どこにも親切な人はいるものだ。運転手もあまり喋らない人だったが、ちゃんとバス停でもないのにホテルの前で降ろしてくれた。その後4人でホテルの部屋で買ってきたものを摘む。本当にローマの休日をやらかしてしまったヨーコたんも熱が下がり、少し回復していた。


1/25 帰国

 多分ウクライナあたりでの朝焼け。25日の早朝ローマ空港を出発してチューリッヒ経由で帰ったが、帰りは一日損をして、成田到着は26日の朝。昨日辺りから夜中に目が覚めなくなっていたが、これがまずい。日本に帰って一週間はジェットラグで仕事にならなかった。え?時差ぼけは関係ない、いつも仕事になってない・・・だって?!。


 

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