当事者としての空白の一日
今年の夏のことである、突如妻の妹から私の携帯に、「旦那の頭が狂った!」と慌てふためいた声で電話があった。話を聞くと、なんでも突如自分が何をしているのかが分からなくなり、今日の日付も、仕事の予定もまったく思い出せず、
それどころかまだ結婚もしていない娘に向かって「子供はいくつになった?」と聞いたり
、行ってもいないバイクツーリングに行ったとか、挙句の果てに女性は卵を産むのか・・・などと頭が壊れたとしか言いようのない言動が続いているという。すぐに病院に行って診察をしてもらったほうがいいと言い、近くの病院に行き、すぐに入院となった。詳しい経過は省くが、結果的には脳の中の血管の異常で、脳の血流が悪くなり記憶などが飛んだのだと分かり、ガンマナイフの手術を受けて、一ヶ月ほどで回復した。この話を書くのは、これから私の身に起こった出来事を書く伏線として覚えていて欲しいからである。
先日(09年11/17)、突如妻の頭が、変になった。その日はスポーツクラブでエアロビをやった後、ミナマリたちと4人で映画を見る約束になっていた。エアロビが終わったあと、「8時15分にロビー集合!」と言ってジャグジーバスに入り、シャワーを浴びてロビーで待っていると、マリがやってきて、15分ちょうどにミナがやってきた。しかし5分待っても妻がやってこない。マリが「そういえば奥さん、ロッカーで携帯を持ってうろうろしていたよ・・・」と言う。妻ののんびりはいつものことだが、今日は映画を観るのだし、その前に食事もするのだから時間が無い。「何をのんびりしてるんだ!」と腹を立てているところに、15分も遅れて妻がやってきた。この時「何してたの!遅いじゃん!」とマリが言ったが、(今考えれば)妻は謝るわけでもなく「?」って感じで無表情であった。車に乗り込んで、マリが出発し、続いてミナの乗った車が出発し、その後に妻の運転する車が出発・・・のはずが、出ない。妻が運転席で「なんだか、変・・・ちょっと運転できない気がする・・・替わって」と言う。体調でも悪いのかと仕方なく私が交代して出発したが、どうにも妻の態度がおかしいのである。
ぼんやり前を見つめ、言葉も少なく・・・とにかくいつもと様子が違う。そして私が「今日これからどこに行くか分かってる?」と聞くと、少し考えて、「分からない」と答える。この時私は一瞬彼女が冗談を言っているのだと思った。しかし妻の態度には冗談を言っている様子が無い。「本当に分からないの?」と聞くと「うん」と頷く。「これからみんなで映画を見に行くんだよ」と言うと、「え?映画?」と、初めて聞いたような顔をした。その様子に不安になった私が「今日は何月何日か分かる?」と聞くと・・・ずっと考えて「分からない・・・」と答えるではないか。私の頭からスーッと血が引くのが分かった。(ちょっと待て・・・ちょっと待て・・・冷静に・・・)私は自分で自分に言い聞かせた。まだ冗談を言っているのだという感覚と、大変なことになったという感覚が交差し、頭が混乱する。この場合の「まだ冗談を言っている」というのは願望である。冗談であって欲しいという願望でしかない。私は矢継ぎ早にいろんなことを彼女に問いかけた。その結果、生年月日とか名前は覚えている。私のことや娘、周囲の人のことは分かる。そして今日の日付や出来事はもちろん昨日や一昨日のことはほとんど思い出せない・・・ことが分かった。言葉をしゃべれるのだから脳全体がおかしくなった訳ではないだろう。先般の妹の旦那の件で少し勉強した私は妻の脳の「海馬」という部分に異常があることを認識せざるを得なかった。
すぐにマリに電話をして、様子を伝え、病院に行くために映画をキャンセルした。もし脳内出血なら一刻を争う。 保険証を取りに家に行き、すぐに近くの病院に向かった。その道中で妻は「どこに行くの?」と聞き、私が「病院に行く」と答えると、「なんで病院に行くの?」と不思議そうに聞く。理由を説明する私・・・「今日ミナマリと映画を見に行く予定だったことを覚えている?」「・・・覚えていない」「だから病院に行くんだよ」「私、おかしくないよ!」。だいたいこんなやり取りだ。しばらくすると「どこに行くの?」と聞く。「病院だよ」と言うと「どうして病院に行くの?」と同じ質問をするのである。病院に着くまでにこの繰り返しが10回以上続いた。この時の私の絶望感を分かってもらえるだろうか。自分がどうして病院に連れて行かれるのか分からない妻。説明してもその言葉を3分間も覚えてもらえない私の狼狽が想像できるだろうか。
病院に着いた。夜間診療入り口と書かれた扉を開けて受付に向かう。
その途中で妻が不安そうに「私、入院するの?」と聞く。「いや、それは分からないけど・・・」と言うと、「私、絶対入院はしないからね!・・・入院すると一人になるから、絶対入院しないからね。」と言う。以前この病院に入院したことがある妻は(そういえばあの時も原因不明の熱であった)その時の雰囲気を覚えていたようだ。「もし入院したら、一緒に泊まってやるから」と言うと、「絶対?」と少し安心した顔をした。とりあえず受付を済ませ、救急診療の受付の前で待つ。その間も妻は「どうして病院にいるの?」と私に聞く。私がその理由を最初から答える。なんとなく納得する妻。そして3〜5分後、また「どうしてここに居るの?」と聞く。その繰り返しの中で、「私は入院はしないからね!」と何度も言う・・・。私には妻の頭がおかしいことが分かるが、妻には(自分の頭がおかしいことが)分からない。いや、なんとなく変だということは分かるのだが、その理由を覚えていられないのだから始末が悪い。何度も何度も理由を説明しながら待つ私はだんだん絶望感にとらわれ始めた。この状態がもし一生続くとしたら・・・
(これは考えるのも恐ろしい設定であった。)これから一体何をどうすればよいのだろう・・・この状況が悪夢でもいい、とにかく夢であって欲しい!と心の底から願った。
車の中でも、そして病院に着いてからも、私は妻の手をずっと握り続けていた。
診察が始まった。女性の医者の胸元を見ると名札の上部に「研修医」と書かれてあるのが少し不安である。まずは認知症のテストがなされた。以前渡辺謙の出演していた映画と同じ質問が女医の口から発せられる。「さくら、猫、電車」この言葉をまず最初に覚えさせ、別のことを話した5分後に同じ質問をする・・・映画と全く同じである。妻はそれでも「さくら、猫・・・」までは答えられた。しかし「電車」はどんなに考えても出てこなかった。次は実際のモノ、時計だとかハンマーなど5種類を見せられ、それを隠した後、答えるというテストである。妻はこれも3つしか答えられなかった。「認知症が認められますね・・・CTを撮りましょう」と言われた。私がその時まで一番恐れていたことは、「脳内出血、脳梗塞」である。これらが原因なら、生死にもかかわるからだ。幸い頭痛とか吐き気は無い様子なので多分そうではないかもしれないと思っていた。次に腫瘍が考えられるが、これも症状がこんなに急に来るとは思えない。原因は一体何なのだ!。初診を終えて廊下に戻ると心配してミナマリが様子を見に来てくれていた。暗い病院
の待合所が二人のせいで幾分賑やかになったが、私の心は暗いままだった。
CTの結果。脳内出血は認められず、特に脳の萎縮もなく、ただ脳の頭頂付近に1cmほどの
腫瘍らしきものが見られるが、それは位置から言っても今回の症状とは無関係であるとのこと。すぐに生死に関ることが無いことが分かり、少しホッとするが、なにせ原因が分からない。医者も専門医ではないため、後日MRIを撮って詳しく調べるしか方法がないと言われた。MRIは予約制のため金曜日にしか空きがなく(今日は火曜日)、早くしたいなら入院をしてMRIのキャンセル待ちも出来ると言うが、検査予約をしてとりあえずは家に帰ることにしたのである。待合室で、「私、変なキノコ食べた?」と言う妻。「変なキノコじゃないよ、ナメコは食べたけど」・・・以前この病院に入院した時、結局原因不明ではあったが、彼女はその原因を毒キノコを食べたせいだと信じている。それを突然思い出したようだ。二日前に送られてきたナメコを実際食べているが、そのことをふと思い出し、その入院(自分が信じている原因)とダブったのだろう。
ミナマリの空しい励ましを受けながら駐車場まで歩く。実際こんな時の励ましは、その気持ちは嬉しいが、空しいものである。軽い病気や怪我ならともかく、認知症なのである。もしこれが認知症の発症で、今後治らないどころかますます重度になっていくとしたら・・・「頑張ってね!」などと言われても心が凹むだけである。「私、変なキノコを食べた?・・・」とつぶやく妻の手を引きながら、ミナマリに礼を言って車に乗り込んだ。
「私、どうしたの?」 ベッドの上で私は妻を胸に抱いていた。 「記憶が無くなったんだよ」「え?私、おかしくないよ」・・・今日のこと詳しく話す私。話し終わってしばらくして、「私、どうしたの?」 と再び質問をする妻・・・何度目かに、私の目に涙が溢れた。そして無性に妻がいとおしくなった。こんなことになるのが我々の運命だったのか?。妻と出合ったのは高校生の時。まぶしいほどの美人(私にとっては)で、とてもオレなんかが付き合えるとは思ってもいなかったし、実際私の友人のKが彼女を好きだったので、手も握ったことも無かった。それが長い紆余曲折を経て一緒になった。一緒に生活をし始めてからもいろんなことがあった。
楽しかったことや、苦しかったこと・・・様々なシーンが思い出された。私はいつも彼女を愛していた。誰よりも愛していた。それなのに、心が歪んでいる私は、いつも彼女を傷つけることばかりを口にしてきた。「オレって、お前をずっと傷つけてきたのかなぁ・・・」私は彼女を抱きながら、そう声に出した。「え〜、そうなの?」と妻は少し笑いを含んだ顔で答えた。その無邪気な顔を見て、私は泣いた・・・無性に泣けてきたのである。そして自分は今、一番失いたくないものを失う寸前であることを知った。私にとって一番大切なものは彼女だったことに気がついたのである。
そして私はもし彼女がこのまま治らなかったら、ずっと一生そばについていてやろうと心に決めた。会社も辞めてやれ!。もうずっと看病してやるぞ、と。そしてそれと同時に、なにがなんでも治してやるぞ!という根拠の無い決意も心に湧いた。私はその決意を言葉にすることでそれにすがりたかった。「絶対に治してやるからな、絶対に!」私は
その決意を妻にも言った。妻が私の胸で頷いた。
眠りについたのは午前一時を過ぎていた。夕食も食べていなかったが腹も減っていなかった。
4時に目が覚めた。すぐに妻の様子を確認し、眠っている様子に安心する。私は隣の部屋でPCに電源を入れ、すぐにネット検索をした。「突然記憶が無くなる」をキーワードに検索を掛けると、いくつかの記事が目に留まった。その記事を片っ端から読む。一番よく似た例が書かれている記事があった。「私おかしくなったからすぐに帰ってきて!」と妻が夫に電話をしてきた。そして3分後に同じ電話をしてきた・・・そしてやはり3分後にも同じ電話・・・。つまり電話をしたことをすぐに忘れて電話を掛けてきているのである。直感で「これだ!」と思った。そしてそこに書かれていた病名は「一過性全健忘」。何かが原因で脳の海馬域の血流が不足して起こる症状で、24時間以内に回復し、再発はほとんど無い。原因も不明なことが多い。そこで失われたその日の記憶は戻らない。こんなふうに書かれていた。24時間以内・・・というのが大切らしい。つまり今日中に妻の症状が元に戻れば、この一過性全健忘である率が高いかも知れない。こんなに突然に直前の記憶が無くなる病気は、脳内出血とか頭を強く打つなどの場合以外は無いようだ。私の心に少し希望が湧いてきた。
そして、妻が5時ごろ起きてきて、私のPCの前に座った。そしてこう言ったのである。
「昨日、なんか・・・私に言ってた?治してやるとかなんとか・・・」
それを聞いた瞬間、私の抱いていた希望が現実となった。すぐさま「・・・今日が何月何日か分かる?」と聞くと、「・・・11月、十
・・・八・・・?」と答えるではないか!。昨夜は日付どころか月さえ分からなかったのだ。それより何より、妻の目つきが昨夜とは違う。私は次々にいろんな質問をしたが、ほとんど的確に答えた。ただし昨夜の記憶だけは曖昧だ。
病院に行ってミナとマリが来ていたことぐらいをぼんやり覚えているだけだ。しかしとりあえず、彼女は回復している。この時の私は、心底、ホッとしていた。暗い絶望から、急に光が差した・・・こんな感じであった。だが、油断は禁物だ。8時に家を出て、この辺りでは有名な脳外科まで行って診察を受けた。冒頭の妹の旦那が手術した病院だ。そこでも認知症のテストが行われ、いろいろ聞かれたあとで、診断結果が下った。ズバリ私の予想通り「一過性全健忘」であった。いきなり、記憶が途切れ、一日で治り、しかも再発はほとんど無い・・・こんなことってあるんですかねぇ・・・と私が医師に尋ねると、「良くありますよ」と淡々と答える医者。毎月何人か発症するのかと思ったら、「(この病院で)年に1人か2人ですかね」とのこと。
後日、MRIを撮り、腫瘍のほうも調べてもらったが、石灰化した髄膜腫で、大きくなる可能性も低く、ま、年単位の経過観察で良いでしょうということだった。よし、これで無罪放免だ、ヤッター!と飛び上がって喜ぶくらいの気持ちだった。妻のほうはもとより何が起こったのかは覚えていないわけだから、この気持ちは分からないに違いない。二人で喜べないのも淋しく不思議だ。
こんなことでこの事件は一件落着した。この事件で私の感じたことは・・・自分が妻を本当にかけがえの無いものとして愛していた(!)ということ以外に、「当事者の気持ち」と言うことだ。たとえば今回の認知症の問題ひとつをとっても・・・TVや新聞で実例が取り上げられ、介護疲れの挙句殺してしまったり自殺してしまったりと、いろんなニュースを聞く。そして我々はそれを結局は他人事として眺めているが、当事者からすると本当に衝撃的で大変なことなんだなぁ・・・と、当たり前のことをこんなことになって初めて感じたのだ。実体験しないと本当の気持ちは分からない。それは想像力の問題でもない。逆に言えば、体験した人だけが分かる気持ちなのだ。体験した人同士でさえもその気持ちに差があるだろう。だから突き詰めると人それぞれに自分だけがその気持ちを味わうことになるのだ。この差がどうにもやるせない差となって・・・これが人生で本当に分かち合えない寂しさを生んでいるのである。私が経験したこの空白の一日は、私に様々なことを教えてくれたのである。もちろんどんなことでも悪い面と良い面が内在する。私がこの後妻に対して以前よりずっと優しい気持ちになっていることを考えると、妻にとってはまんざらでもない事件だったと思う(笑)。
091226