雑文集T

金というものについて

 金というのはいったい何だろう。

 持っている量も、どうやら個人差があるし、たくさん欲しいと思ってもなかなか集まらないし、最初から(生まれた時から)一杯持っているヤツもいるし・・・。一獲千金を夢見る人も多いし、たいていの人はあればあるほど良い、有り余っても困らない、と思っているだろう。

 では、金があれば幸せだろうか。

 イエスと答える人が最近、大変増えてきたように思う。昔はそうでもなかった。昔と比べて、本音を言う人が増えてきたからだということを割り引いても、イエスと答える人が多いという現実は、つまり今がそういう時代だからだ。そういう時代とは、なんでも金で解決できる時代、という意味だ。だから人はどんなことでも金に換算しないと価値判断が下せなくなっている。アメリカを筆頭に、かつて「エコノミックアニマル」と呼ばれた日本は言うに及ばず、いまやこれが世界の風潮だ。企業やそこに働く人は金を儲けることを至上と考え、いろいろな手段を使って人よりも多くかき集めようとしている。日本の企業などはその典型だ。

 金があれば、幸せかもしれない。しかし、その幸せを得るのに結局人は大変な苦労をするのである。そのくせ、その苦労が報われる人ばかりではない。いつまでたっても幸せがやってこない人もいるわけで、そんな人はみな不幸、ということになる。ちょっと待てよ?。これはなんか変だ。どこか、何かが間違っている・・・。

 金というものについての認識が間違っているのである。

 金というものは、まさに水のようなものである。生きてゆくには必要欠くべからざるものには違いがないが、あまりたくさんあっても仕方のないものだ。地球上の水の量が限られているように、お金の量も限られているのだ。従って一箇所に集めようとすることは、結果的に他の人からそれを奪うことになるのである。

 人が生きてゆくのに、そんなに金が必要だろうか。いつも私はこんな素朴な疑問を持っている。何のために仕事をし、何のために人間は生きているのか。たとえ競争社会に勝ち残り、人より物を多く得たとしても、それが幸せに直結するかと言えばそうばかりでもないはずだ。水は大切だが、それが全てではないのだ。

 だから無駄な、使いもしない金を貯め込んで喜んでいるヤツは、いつ起こるかとも知れない天変地異の時のために、ドラム缶一杯の水を背負って毎日暮らしているようなもので、私には馬鹿馬鹿しく見える。ただひたすらカネ、カネ、カネ・・・と走り回っているヤツも見苦しい。飲めもしない水をそんなに掻き集めたって、いったい何になるのだ。企業という名のもとに私利私欲を貪っているヤツも私は知っている。ただし本人はそれに気がついていないから始末が悪い。

 日本人は、人も企業も含めて、もっと足元を見なくてはいけない。我々が生まれたころ、日本は貧しかった。人々は食って生きることを幸せとしていた。それがいつしか、やれテレビだ洗濯機だ、車も1台では足りない、子供は大学までやらなければ、海外旅行も行きたい、もっともっとおいしいものを食べたい・・・。わずかな間にそんな時代になってしまった。しかし、日本人はそれで幸せになったのか?。逆に不幸になったのではないか?。何かを買いたいと思えば金が必要だ。次々に買ってゆけば金が足りなくなる。だからそれまで5時に仕事を終えて帰宅していたのが、8時、9時まで残業をして生活費を稼ぐようになる。そうしないと欲しい物が買えないのだから仕方がない。隣の家は車が2台ある、うちは1台、それも古いやつが。お父ちゃん、もっと働いて稼いできてよ!・・・という具合だ。こんな状況を人は幸せと呼ぶのだろうか。何のことはない、ただカネに追いまくられているだけじゃないか。これはもう、悪循環以外の何ものでもない。

 縄文時代に思いを馳せてみよう。今とはまったく違う時代だ。それこそ自然以外の何もなかっただろう。それは現代人の価値観から見たら、とんでもない世界に思えるかもしれない。しかし私は、その時代の人々の暮らしは今よりももっと幸せだったように思う。幸せとは、心の在りようだ。こんなテレビをいつか見た。確かネパールのドキュメンタリーだったと思うが、3000メートルを越すヒマラヤ高地に暮らす家族の話だ。それこそ何もない。あるのは大地と風、そしてそこに生える草と飼っているヤギの群れ。食べるものはわずかな穀物とヤギの乳と、それを原料にしたチーズだけだ。インタビューアーが少女に質問をする。

 「ねえ、ここの暮らしは好き?」少女は答えた。

 「好きよ、だってここにはチーズもあるし、花も咲くから。」

 我々はもっと原点に立ち返らねばならないのではないか?。人はもっと「生きてゆけること」自体に喜びを見出す必要があるのではないか?。この少女に比べたら、文明に暮らす我々のほうが何倍も貧しい気がしてならないのだ。我先に、競い合うようにして文明を発達させてきて、一見便利な世の中に見えるかもしれないが、実はそこには大きな落とし穴があったのだ。

 私は、水はそんなにたくさんは要らない。腰にぶら下げた水筒一杯でいい。喉が渇いたら少しそれを飲んで、また小川を見つけてその水筒に新しい水を汲めばよいのだから。それがすなわち、生きるということだと思うのだ。

今の日本の教育について

 日本の今の教育はひとつの時代の断末魔を迎えている。子供たちは目標を失い、無気力になっているように感じられる。無情な建前論で本音を吐露できないでいる。いじめ、暴力、不登校児や中退も増加している。これはどこに問題があるのだろう。

 まず社会的な問題がある。

 子供たちの無気力は今の日本社会の反映である。経済成長を遂げ、物質ばかりが豊かになったことに起因しているといつも思う。我々の小さかったころは、何も無かったから、逆に「夢」があった。たとえその夢が仮に物質的なものであったとしても、その夢を実現するために、行動を起こすことが出来た。夢はバイタリティーとなり、我々に力を与えた。この時我々は物質ばかりを追いかけないで違う方向にも考え方をもっていければ良かったのだが、不幸なことに物的なものばかりを追いかけてしまったようだ。そして、地球上では餓死で何万人もの人々が死んでいるにもかかわらず、日本は大量のゴミを出す、物や食料が溢れた国になった。そしてそんな国に生まれた子供たちは、「生きる」という人間もつ本来の喜びを知らずに暮らすことになる。物質文明ばかりを追い求めてきた、まさに我々の時代が作り出した社会の犠牲になったのが今の子供たちなのだ。このことは深く反省しなければいけない。「金について」でも書いたが、今の子供たちは金を幸せの度量衡としている。これは危険なことだ。だから女子中学生が平気で自分の身体を売ることが出来るのだ。こんな事件で人は良く、「親の顔を見てみたい」と言うが、親の顔を見たかったら自分が洗面所の鏡の前に立てばいいのだ。

 次に「安全」ということ

 今の教育現場では「子供の安全」を金科玉条として、とにかく危険から(時には危険が予測される場所とか行動から)子供たちを真っ先に遠ざけている。これは大きな間違いだ。人間というのは「危険を感じる」感受性を身に付けて初めてそれを回避する行動をとることが出来るのだから。それを最初から危険な場所から遠ざけてばかりいて、どうして危険を感じる感受性が育つのだ?。昨年だったか、高校の騎馬戦で死者が出たという新聞記事を見た。多分この高校では騎馬戦は運動会で行われなくなるだろうと思っていたら、案の定、今後中止だそうである。亡くなった子供の親御さんには悪いが、なぜ中止にしてしまうのか理解に苦しむ。そんなことばかりしていたら、子供たちはますますひ弱になってゆくだろう。そればかりか、その子供たちが大きくなって親となった時にもやはり、子供を危険から遠ざける教育をするに違いない。

 あえて危険を体感させるということは確かに不安だろう。そのために、昔は大きな子供と小さな子供が一緒になって遊んだ。大きな子供は威張ってはいたが、小さな子を守り、それでもよくみんな怪我をした。もちろん運が悪くて失明したり、足が不自由になったり、中には死んでしまう子もいたが。しかし今の子よりも格段に、危険予知能力は備えていた。喧嘩のやり方も知っていたし、精神的にももっと強かった気がするのだ。いじめは昔からあったが、誰かが救いの手を差し伸べるやり方も知っていた。つまり、いろんなことに慣れていたのだ。そんな遊び方は今はしないし、周囲の大人たちがこんなやり方で子供を保護したつもりになっているようでは、この先子供たちはどうなってゆくのだろうか。

 私は今の教育は間違っていると思う。しかし教育現場ばかりを責められないとも思っている。子供が大怪我をしたり、死んだりすると真っ先に責められるのが学校だからだ。責める方も悪いのだ。建前論ばかりで押し切るPTA。それに乗っかって騒ぐマスコミ。すぐに学校側の落ち度を探して「子供の安全第一」を振りかざしながら学校を責める。体罰にしたってそうだ。昔は子供が先生に殴られると親は先生のところへ謝りに行ったものだ。殴られるということは、子供が悪いことをしたという意味なのだ。親と子と先生の三者に信頼関係があったのだろう。今は子供を殴ると親が先生を吊るし上げる。「暴力」をふるったと・・・。それで先生も子供を叱らなくなる。子供はそれを知ってつけ上がる。痛い目にあわせないと人間は自分の非を悟らない。口だけで分かるものなら苦労はしない。

 「責任」ということ

 まず子供に教えなければいけないことは、「責任感」だと思う。責任感とは、簡単にいえば「自分で責任をとる」ということだ。これは大人でもなかなか出来ていない。なんでも人のせいにする人間の多いこと。自分が酔っ払って歩いていて、夜、工事中の穴に落ちた。そいつは次の日に市役所に電話をかけ、「なんで夜に工事の穴を塞いでおかないんだ」と怒鳴ったそうな(実話・・・こんな話はけっこう一杯ある)。私に言わせれば、いや、誰が考えたってこれはおかしな話だ。素面で歩いていて暗がりで何の柵も無いところに穴があいていたならともかく、ちゃんとそこには工事柵が設置してあったのだから、落ちたのは自分のミスである。役所に文句を言う筋合いのものではないのだ。私は子供たちに、こんな大人にはなってほしくない。この話は典型であるが、少なくとも「自分の身の回りに起こった出来事は自分にも責任があるのだ」ということを教えていかないと、いや、我々大人たちこそがそういう認識を持って社会を作っていかないと、日本は「誰も責任をとらない国」になってしまうだろう。

 で、その後市役所はどうしたか。その男の住所を聞き、工事を担当している会社に電話をかけて事情を説明し、工事会社の社員がその男の家まで菓子折を持っていって謝罪したという。・・・あいた口が塞がらないのは私だけではないだろう。この話は今の日本の社会を端的に写している。どこでどうしてこうなってしまったのか。昔私はブラジルの叔父さんに叱られたことがある。ある旅行でパスポートを忘れ、アルゼンチンの国境で足止めを食った。私は電話で、次の日に到着予定のバスの運転手に電話をして持ってきてもらうように頼んだ。しかしいろいろあって、そのバスの運転手も持ってくるのを忘れた。結局アルゼンチンに入れなかった私はあとでバス会社の対応をなじった。するとそれを聞いていた叔父さんが断固とした口調で一言。

 「最初にパスポートを忘れたお前が悪い。」

 叔父さんは明治生まれだ。私はこの一言で自分の非を悟り、同時に明治気質の一端を感じた。今の日本人に、こう断固とした物言いは出来ないだろう。それは叔父さんが、と言うより明治時代の日本人社会がそうだったということなのだ。

 「学校教育」について

 今の子供は疲れている。何に疲れているのかと言えば、親とか学校が敷いたレールの上を走らされていることに、疲れている。勉強なんてものは、好きなヤツがやればいいのだ。歌が好きなヤツは歌を歌っていれば良いし、絵が描きたければ数学の授業をやめて絵を描けばいい。数学なんて、加減乗除が分かれば生活してゆけるし、日本や世界の歴史を知らなくたって何の不都合も無い。何でも、いつでも、興味が湧いた時にやればいいのだ。人生は長い。私だって40歳を過ぎてから覚えたことが一杯ある。いろんなことがこの世にはありすぎて、どのみち何もかもをやれるわけではないのだ。興味の湧いたことをやるだけで、人生は手一杯だ(そういう意味では人生は短い)。それなのに、親や学校は何故やりたくないことばかりやらせようとするのか。

 子供を良い(と言われる)幼稚園に入れ、良い小学校に入れ、良い中学校に入れ、良い高校に入れ、良い大学に入れ、良い会社に就職させる。これが一般的な親の敷くレールだ。これがひどくなると、さらに、良い男と(女と)結婚させ、良い子供を生み、良い生活をし、そのまた子供を良い幼稚園に入れ、良い小学校に入れ・・・と未来永劫果てしなく続くことになる。こうやって自分で書いていても、笑ってしまいます。こんなふうにきちんとレールに乗っかって人生を歩いた人間を誰か知っていますか?。少なくとも私の回りには、誰もいない。だいたいこんな非現実的なレールを敷くということ自体が間違っているのに、しかもこうして文章で読むと「確かに変だ」と思うのに、それをやってしまっているということに気がつかねばならない。第一、いい会社ってどこですかね?。ちょっと前まで良さそうに見えた会社でも今日はもう潰れている時代ですよ?。人生なんてどこでどう変わるか分からないのに、奇妙な価値観でレールを引いてしまう親、それに追随してそれに添った授業を続ける学校。これではイカンぞ・・・と仮に先生が思っても、誰も責任を取りたがらないので、誰かが言う建前論に押し切られてしまう教育現場。こんなことを続けているから、それに振り回されて、子供が疲れてしまうのだ。

 今学校で教えなければならないのは、人間教育。責任の取らせ方と、他人の良いところを見る方法。勉強で言えば、ちゃんと喋れるようになる英語教育と、興味が先に来るような環境作りではないだろうか。結局自分が面白いと思うことしか人間は出来ないのだから。

 それにしても、教育を語ることは結局、社会や政治を語ることになる。まだまだ言いたい事はいろいろあるがとりあえずはこれまでにしておこう。

 

幸せについて

 幸せとは相対的なものである。この世に、「絶対的な幸せ」というものは無い。なぜなら、人の心が求めるものが常に流動的であり、変化しているからだ。幸せな瞬間、というのはもちろんある。しかしそれは長続きしない。「心と環境が一致している時」だけが幸せな状態なのだから、そのどちらかが動けば幸せでなくなるのである。

 一方私は長い間、「心の安らぎ」こそが幸せだろうと考えていた。そしてそれをいつも求めていた。しかし何をやっても、何を得ても、心が安らぐということが無かった。瞬間的な満足感は得られても、次の日も、そのまた次の日も満足感に浸っていられるという保障は無いのである。では結局、その刹那的な喜びばかりを永遠に求め続けてゆくのが人生なのであろうか・・・。辛い時に、「きっとまたいいことがあるさ」と言って気持ちを切り替えてみても、その「いいこと」が長続きしないのであれば、これは堂々巡りを続けるだけだ。もし本当にそれが人生だとしたら、人生は絶望的である。

 自分の欲求を満たすことを幸せと感じる人は、結局幸せになれない。私はきっと今まで、そういう生き方をしてきたのだろうと思う。反省とは常に辛いものである。人は一人では幸せになれないように出来ているのかもしれない。

 私はごく最近、幸せとは「自分以外の人を幸せにすること」かな?と漠然と思っている。しかしやり方を思い付かないでいる。自己満足的なボランティアは時として押し付けや偽善につながる。自分の心がそうなっていないのに、形だけからは入れないのである。何も考えないで一生懸命仕事をする。あるいはこれが一番人を幸せにすることかもしれないが、実際私は「ぐうたら」で・・・。あぁ・・・今の私が決して幸せでないことだけは確実である。

 

自然について

 近年になってようやく環境問題があらゆる面で取りざたされるようになったのは喜ばしいことだ。ただ行政が本当にその方向に向かっているのかと言えばはなはだ疑問である。未だにブナの原木が切られ、そこにスギやヒノキが植え替えられようとしているのを見ると、日本の行政の限界が見えると同時に怒りを覚える。 ブナをチェンソーで切っていた人に聞いてみた。そこは国道に面した急斜面で、木を切っていたのはたまたまその山の持ち主であった。

 「こんなところに杉を植えてもまともに育たないけどねぇ・・・」と彼は無気力に笑いながら答えた。「補助金をもらえるし・・・役所も植樹する場所を探しているんでね・・・仕方ないよ。」

 半世紀前と同じことが未だに行われているのはまったく理解できない。半世紀前はスギ、ヒノキは建築材として大変高価に売れた。「有用材」として林野庁も補助金をつけて奨励した結果、人々は山という山の自然木を切り倒し、植林した。切り出した広葉樹は当時、薪や炭としてまた高価に売れた。この政策は結果として山の保水力を弱め、自然破壊の元凶になったのである。まったくの失政であったと思うが、一面、戦後の復興期ということもあり、仕方の無いようにも思える。しかし今、その植えられた杉がどういう状況にあるかと言うと、森の「お荷物」に成り果てているのだ。スギやヒノキは間伐をし、枝を払い、下草を刈らないと立派な木に育たない。植林をしたものの、その後の経済情勢の変化にともなう経済構造の変化で、人々は山を離れ、街に出てゆく。後に残されたのは「植えられっぱなし」のスギ、ヒノキと老人である。木の手入れも出来ないし、仮に手入れをしてももう木は売れなくなっていた。今の日本の建築材のほとんどが外国材である。そして高度成長により日本人の人件費も高騰し、いまさら山から木を切り出しても人件費だけで赤字になってしまうという、二重、三重の悪条件が積み重なって・・・あわれ今の山に植えられているスギはほったらかしにされて細々と生きているのである。

 こんな条件の中でも、何故補助金を出してまで林野庁は植林事業を推し進めようとしているのか、理解できないのである。いや、こう考えると理解できる。彼らは単に「予算」を使っているだけなのだ。昔からある予算を必要が無くなったからと切り捨てることを彼らはしないのだ。これは植樹に関してだけではない。あらゆる行政、省庁の体質の問題なのである。結局何かひとつのことを語ろうとすると、一事が万事で、この問題に突き当たる。日本の行政ははっきり言って腐っている。

 ミズナラ、ブナに代表される落葉樹は何十万年、何百万年もかけて進化を遂げてきた樹木なのである。夏の暑い日差しから大地を守り、冬には枯葉を落として大地に陽を当てる。落ちた枯葉は菌類の絶好の住処となり、枯葉を腐葉土に変え、良質の土を作る。ドングリなどの種子は動物の餌となり、人々も森の恵みによって生活をしてきた。こうして樹木を中心とした共存共栄の良循環が何万年もの間、続いてきたのだ。秋の紅葉ひとつとっても、過去どれだけの人々の心を安らがせてくれただろうか。・・・それを人類はわずか百年でぶち壊してしまったのだ。

 以前、長良川の河口堰の問題を釣り仲間と話し合ったことがある。もちろん全員が河口堰建設に反対であった。釣り人として、たとえ少しでも遡上する鮎が減少するという話に反対なのは当然だろう。まぁ、それはいいのだが、反対だ反対だと言っていたヤツが、さっき食っていたカップラーメンの容器を平気で川に捨てた!。私はこれを見て、この人の河口堰反対というのは単純なエゴだと感じた。いや、この人だけでなく、我々も含めて何が大切で何が大切でないのかを判断する、その根源には人類の持つエゴがあるのではないかと思ったのである。皆が本当に「自然は大切だ」と心から思わなければ、自然は本当には戻らないのである。

 人の命について考えてみよう。私個人としては自分の命など取るに足らないものだと思っている。地球上の生き物の中のほんのひとつに過ぎない。私が死んでも地球は回る。昔誰かが言った(誰が言ったか知っているが敢えて言わない)。「人命は地球より重し」と。この言葉は一時有名になったが、私に言わせれば完全に間違っている。人の命なんてそんなに重いはずが無い。ましてや人はいつか死んでゆくのだ。どんな死に方をするかだけの違いである。だから、たとえば大雨で土石流に流されて亡くなったこと自体は悲惨であり、家族の悲しみももちろん分かるが、だからと言ってすぐにそれを「人命優先」という錦の御旗を掲げて砂防堰堤の工事に取り掛かるのはどんなものか。岐阜県だけでもいわゆる「危険箇所」が二千数百箇所あると聞く。そのそれぞれを全部人間の手によって危険でなくするには途方も無い年月と労力、つまり金がかかる。それどころかそれで完全ということは決してない。地震だって大きなものが起きれば大災害になる。最低限の防災は仕方が無いとしても、100年に一度の災害のために膨大な金をつぎ込むのは愚の骨頂だ。長良川河口堰が利水から治水に建設目的をすり替えたように、「人命の安全」を建前に押し出しての「工事のための工事」は止めなければならない。反対派も、「人命」となると口をつむぐ。そしてそれに反論するにはその工事がもっと危険な工事である、という理論を無理やりにでも立てねばならない。推進派も反対派も結局「人命尊重」という呪縛の上に立って議論をせざるを得ないのが現状だ。やがてその議論は「水掛け論」となり、お互い自分の都合ばかりを言い合うだけのものとなる。だからこの時はっきり「人の命は重たくない」とひとこと言えば、済むのであるが、それを言うと「負け」になる。本来こういった議論は「程度」というものを踏まえてしなければならない議論だ。

 もうひとつ、人の生活と言う面もある。日本はこれまで狭い国土をいじくり回して国民が生計を立ててきたいきさつがある。ダムを作り、ビルをたて、道を作り、橋を架け、それを仕事として生活してきたのだ。街は言うに及ばず、山の小さな林道まで舗装してあるのは日本ぐらいじゃないかな?。そしてもうこれ以上やることが、いよいよ、なくなってきたのである。だが先にも述べた行政の転換の遅さから未だにあれこれいじくり回しているのが現状だ。工事のための工事を続けているわけだ。しかし、それらを必要がなくなったからといって、全部やめてしまうと、どうなるか。町に失業者が溢れ、日本経済は失速するだろう。業種の転換など簡単に出来ることではない。まぁ、それでもいいじゃないかと思う人もいるだろうが、実際それに携わってきた人にとってみれば死活問題だ。ではどうすればよいか。

 あれこれ批判ばかりしていても現実的ではない。 自然環境を少しでも復元に近づけるための、私の提案はこうである。まず山に関しては今植えられている使用価値のないスギ、ヒノキ林を切り、そこに広葉樹を植える。これなら林野庁で働く人々も失業しなくてすむ。河川なども無数にある砂防堰堤を全て取っ払い、単なる排水溝となっている川を出来るだけ昔の状態に戻す。これで山は徐々に保水力を取り戻し、水はきれいになり、海岸に再び砂浜が出来る。これで土建屋サンたちもしばらくは安泰だ。壊した自然を元に戻すほうが時間と金がかかるのだから、100年かかって壊したものを200年かかって元に戻せばいいのである。これこそが子々孫々に自然を残すということだし、今、行政が行わなければならないことだと思うが、如何なものであろう。

 

金について-その2

 金について、まったく別の角度から見てみよう。芸術やスポーツと金の関係だ。バブル崩壊から10年。今の日本で困っているのは案外「芸術家」なのではないだろうか。金が余ると人の行動に余裕が生まれるのは当然である。だから人はその余った金で芸術作品を買うのである。古来、芸術を育ててきたのは昔の王族、貴族、大金持ちであったことは誰もが認めることであり、自分の作品を高く買ってもらえるからこそ芸術家達は生き延びてこられたし、後を継ぐ志も生まれたのである。これは案外大事なことである。

 絵を描く人も、音楽を書く人も、彫刻をやる人も、建築をやる人も、押しなべて大金持ちの恩恵に預かりさまざまな芸術を創り上げてきた。今世界的に有名な遺跡や工芸、装飾品・・・残っているのは全て過去の「大金持ち」が作らせたり、買ったものばかりである。 現代のスポーツの世界も似たようなものである。はっきり言ってマラソンランナーがどんなに速く走っても腹が減るだけで、食っていけない。それを支えているのは企業という大金持ちだ。生活の心配をしないでいられるからこそ、人は芸術やスポーツに打ち込めるのである。

 こう考えてくると、「金」というのも案外いいものかもしれない。先日私の知り合いが、「日本の税制はなっとらん。今の日本では本当の金持ちが生まれない土壌がある。文化という意味ではこれは淋しい限りである。」というようなことを言っていたが、実際その通りだ。奇妙な平等意識というか公平意識が今の日本を支配していて、それが今の税制を作り上げているのであろう。こんな国には活力が生まれっこない、というわけだ。

 こう書くと先般書いたことと矛盾していると思う人もいるかもしれないが、そうは思わない。人はその人が有効に使えるだけの金を持つべきなのである。要は使い道の問題で、使わないのにただ金ばかりを貯め込んでいるヤツは、バカだ、と言ったのである。もう少し詳しい話はまた今度にしよう。今日はもう寝なければならない。

半世紀を生きて

 2001年の1月15日、私は50歳になった。去年まで私の誕生日は祝日だったが、今年からそうでなくなった。しかしまぁ、きっちり半世紀を生きたわけだ。今になって振り返ると長いようで短い月日である。

 1951年の同じ日に私は岐阜県の山奥で生を受けた。前の晩から雪が降り続いた雪が止み、きれいな日だったと母から聞いている。私は難産で、生まれた時は呼吸が止まっていたそうだ。産婆さんが逆さにして水を口から噴きかけ、尻を叩いたら、やっと「オギャ〜」と泣いたそうな・・・。私が今でも狭い所や高い所が怖いのは、きっとこの時のトラウマかもしれない。

 小学校の頃のことはほとんど覚えていないが、他の子と同じで、かくれんぼや戦争ごっこ、・・・ほとんど外で遊んでいたと思う。親父の転勤のせいで、小学校2年までに3度移り住んだ。初めてテレビをみたのは小学校に上がる前の頃だった。ヒイおばあちゃんがテレビでアナウンサーが挨拶したのを、『あの人こっちを見て挨拶してるけど、こっちが見えるのか・・・。』と私に聞いたことを覚えている。その時のテレビは試供品とでも言うのか、つまり実験的に誰かが近所の家に置いたものだった。だから実際家にテレビが置かれたのは小学校2年の頃であった。その頃テレビのある家は少なかったので、みんながテレビのある家に集まった。チロリン村とクルミの木、月光仮面、ポパイ、大相撲・・・みんなが夢中になって見ていたもんだ。・・・あれ?、こうやって書くと結構覚えているではないか・・・。

 私の「作ること」への興味は中学辺りから始まった。まず、いくつかの時計を分解して壊している。それから模型の電車に凝った。もちろんそんなに裕福ではなかったから、小遣いを貰っては少しづつ作っていた。次はラジオを作り始め、そのうち見よう見まねで送信機を作った。この時のことは今でも覚えている。私は夜中の2時ごろまでかかってハンダ付けを終わりスイッチを入れた。真空管が赤く光り、電流計の針が振れる。受信機でアマチュア無線を聞きながらそこに周波数を合わせ、送信に切り替える・・・。「ブレイク、ブレイク・・・」と私はマイクに向かって喋った。ブレイクとは「話に割り込む」時に使うハムの用語だ。それだけで心臓がドキドキしているのに、受信に切り替えたとたん、「ブレイクさん、どうぞ・・・。」とスピーカーから声が聞こえた!。繋がった!ヤッタ〜!!!。もう、心臓が止まりそうなくらい有頂天になった私は親父とお袋を叩き起こしたそうだが、そのことは覚えていない。そして実際繋がると、怖くてもう喋れなかった。私はその時ハムの免許を持っていなかったのだ。その後免許を取ってハムの仲間入りをしたが、この時の感激以上のものは得られなかった。

 高校の時に歌を作り始めたのは「音楽のページ」に書いたとおりだが、その前から「詩を作ること」は好きだった。そうそう、小説も書いたっけ・・・。なぜか北海道の利尻島から船で海外に出かける話だったが、以前その原稿が残っていて読み返したが、稚拙この上ない文章で、自分の才能の無さを自覚した。小説と言えば私は本が好きで、小学校時代からよく本を読んだ。どちらかと言えば海外派で世界文学全集的なものだったが、自分の住む日本よりも、見たことの無い海外のほうが興味があった。

 中学の時にブラジルに移住した叔父(と言っても父方の祖母の兄弟)が日本に来て、いろいろ面白い話をしてくれた。そして帰る時に『大きくなったらブラジルにおいで・・・』と一言を残した。その言葉が私を大学2年の時にブラジルに行く決心をさせた。それ以来私は誰彼と無く、会う人ごとに『オレ、大学に入ったらブラジルに行く』と言い続けた。そして2浪はしたものの大学に入り、私は公言通り(と言うよりみんなに言いふらした手前・・・)休学届を出し、ブラジルに渡った。両親はもちろん反対したが、私は勝手に休学届を出し、渡航費用を稼ぐために半年間東京でアルバイトで働き始めた。この時やった仕事が今の私の仕事になっている。

 半年で50万円を貯め、とりあえず友人の住むサンフランシスコに飛び立った。この時、何をどう間違えたか知らないが、私はロス空港に降り立っている。友人に電話をし、迎えに来いと言ったら「アホ!」と言われた。たしかロスとサンフランシスコは400kmほどあるんだよね。仕方なく国内線でサンフランシスコまで飛んだっけ。その上1週間経って「さぁ、いざブラジルへ・・・」という時に今度は飛行機に乗り遅れた。前夜マージャンをやったのが失敗だった。寝過ごしたのだ。友人も車をぶっ飛ばして空港まで送ってくれたが、係員にひとこと、「Too Late」と言われた言葉がいまだに耳に残っている。ハハハ・・・次の便は1週間後だってさ。

 ブラジルは私を変えてくれた。詳しい話は以前勤めていた会社の社内報に書いた紀行文をもとに書き加えて、いつかここに載せよう。何処に行っても「人」は同じだ・・・。コレを体感したことが私にとって大きな収穫だった。そしてレイラとの恋。これも私は一生忘れないだろう。この頃も歌を一杯作った。

 やがて私は何とか卒業し、就職した。2年浪人し、1年j休学し、1年留年したから、合計8年。この頃からもう遊んでたんだ・・・。だから遊び疲れて『早く働きたい』と思っていた。気がついた時にはもう26歳になっていた。就職したのはトヨタ系の小さい会社であった。いや、実際最初に(卒業前に)就職をしかけた東京のもっと小さな会社があったが、部長と課長がみんなの見ている前で喧嘩する、とってもヘンな会社だったので、辞めて、里帰りしたのだ。同じ年に結婚し、すぐに長男が生まれた。長女が二年半後に生まれ、そのまた二年半後に次男が生まれた。私はオトーチャンになってしまったわけだ。

 就職した会社は4年で辞めた。別段会社がイヤだったわけではないが、私は学生時代から独立をするつもりだったのだ。ただ、何も分からないまま独立するのもアブナイと思いとりあえず就職したのだ。と言って何をやるかは決めていなかった。ただ何かで自分を試してみたいと漠然と思っていただけだ。そしてこの時もみんなに言いふらした。そして、辞めざるを得ない状況に自分を追い込む方法で、めでたく辞めたのだ。大勢の人が送別会を開いてくれた。嬉しかったな、やっぱり。作った会社は従業員のおかげで何とか今年で二十周年を迎えることが出来た。私の努力不足で大きくはなれなかったが、バブル崩壊にも倒れることなく何とか生き残っている。その後の人生は趣味千山の紹介のとおりだ。

 こうして振り返ると私は「作ること」が好きな、そのくせ怠惰な、遊び人であった。人生の2/3を生きてきて、残りの人生をどう生きるべきかを思案中である。

 そうそう、誕生日の歌を作った。【赤点人生50年】という歌だ。良かったらダウンロードして聞いてみてください音楽の部屋に置いてあります。

不思議な出来事

 雪の降るなか、私は友人のTと加子母村から舞台峠を国道41号方面に走っていた。そこはTの故郷で、我々はその村の食堂で昼飯に「ケイチャン」を食った。ケイチャンとは鶏チャンという意味・・・つまりは鶏肉をいろいろ味付けしてトンチャン風に味付けしたもので、奥美濃や飛騨地方ではポピュラーな食べ物だ。この店のケイチャンはなかなか旨かった。

 ま、そんなことはどうでもいいのだが、そこで飯を食っている時にTが「この近くに天照山という神社があって、そこのオバアサンが霊能者であるらしいから、行ってみよう」と言いだした。私は昔から霊能力というのを信じているし、自分なりに不思議な体験もしたことがある。だから興味をそそられたが、正直言ってその話がどの程度のものなのかなぁ、という程度で聞いていたのだが、Tは自分で言い出した話に自分でのめり込み、「よし、行くぞっ!」と立ち上がった。それじゃ行くか、と車に乗り込み、加子母村まで取って返した。

 行ってみるとそこは小さな神社であった。受付(といっても無人)で14番と書かれた紙に生年月日と名前と住所を書き込み、10畳ばかりの畳の待合室で待っていると、12番の方どうぞ・・・と呼ぶ声がして先に待っていた人が呼ばれる。その後Tが呼ばれ、いよいよ次は私の番だ。やや緊張して中に入ると、なかに実に「いい顔」をしたお婆さんが座り机の向こう側に座って優しい微笑を浮かべている。もちろん我々はここに思いつきで来ただけで、とくに悩み事があって来たわけではなかったので、何を聞こうかは待合室で考えていたのだが、私は「今まで自分のためだけに生きてきたが、これからは人のために生きたい、ついてはどのように生きてゆけばよいか・・・」というようなことを聞いてみようと思っていた。

 お婆さんは、私が入るなり、「先ほどの人と一緒にみえましたねぇ・・・」と静かではあるが確信に満ちた喋り方で私に言った。私はその時は何も考えずに、「ハイ、高校時代の同級生で・・・」などと答えていたが、あとでTに私との関係を言ったかどうか聞くと、「オレは何も言ってないぞ・・・」ということであった。しかしこのことは特別どうということはない。生年月日も書いてあるのだし、それが同じならひょっとして推論できることかもしれないからだ。しかし話をしてゆくにつれ、私はビックリしてしまった。

 お婆さんは、時々拝むように両手を前で擦り合わせながら、私に仕事は何をやっているのかと聞く。私が会社をやっていると言うと、半眼で祈るような仕草をしながら「・・・二つ・・・ありますね・・・」と言った。私はびっくりしながら、事業所が安城と岐阜にあります・・・と答えると、「安城のほうが大きいですね・・・」と言うではないか。確かに安城にある西三河営業所のほうが先にスタートし、人数も売上も多いのだ。彼女はさらに追い討ちをかけるように、「岐阜のほうでは・・・何か・・・最近業務拡張をしましたね・・・」と言った。PC教室のことである。え?な、なんで分かるの?何処がどうしてどうなってこんなことが人と対峙しただけで分かるのだ?コレは私にとっても初めての経験であった。う〜む・・・。分からん。分からんが・・・凄い。少しばかり私の頭は混乱した。疑いを持たなかったのはお婆さんの顔である。嘘をつく必要の無い、澄んだ表情と人懐っこい笑顔であった。

 お婆さんは最初から最後まで優しく、いい顔をして静かにアドバイスをしてくれた。私が上に述べた質問、「人のために・・・云々」と言うと、即座に「今パソコンは覚えたいと思っている人が一杯いるじゃないですか・・・貴方が教室をやるってことはそれだけで十分多くの人のためになってるんですよ・・・」と答えた。単純明快で、かつ素晴らしい回答は私の心に沁みた。人の役に立つということは、案外与えられた自分の仕事を一生懸命やるってことかもしれない。ゴチャゴチャ考える必要は無いのだろう。彼女は途中、「貴方には凄いパワーを感じますよ、運気もいいし何をやっても良いですよ」と勇気付けてくれることも忘れなかった。そして最後に「お祈りしておきますから・・・」と言って、それまで何度も合わせた手を再び合わせてくれた。

 外に出て車に乗り込んだ我々は何か不思議な、なおかつ清清しい気持ちになって神社を後にした。帰り道、いろいろな話をしたが、そのなかで魂と肉体の関係についての面白い理論が新鮮であった。Tが本で読んだ話が元で、少し我々の解釈も入っているが、つまり人間には「魂」と「心」と「肉体」があり、「魂」は天命を受けて授かった生命の源であり、「肉体」は魂が現実に天命を全うするための道具であり、「心」とはその魂と肉体の両方を結びつけ、コントロールするものである。従って天命と煩悩の狭間で心が揺れ動くのは当然だ・・・、という理論である。

 私は魂と肉体というものの分離は当然信じていたが、「魂」=「心」と捉えていた。しかしこの理論でゆくとそれは違う。なるほど、と思った次第である。こう考えると非常にすっきりするではないか。目から鱗とはこのことだ。これも天照山のおばあちゃんのお陰である。・・・感謝。ちなみにこのお婆さん、来ていた人に聞いたところ、20年程前に神様が枕元に立ち、啓示を受けて始めたそうな。

 「現代科学で説明できないこと」は頭から信じない、という人が結構多い。いや殆どの人がそうかもしれない。しかし私は信じる。目に見えないからといってそれを「無い」と結論付けるほど人間はまだ賢くないと思うからだ。たとえばパスカルの原理は原理がある前から人々はそれを経験的に知っていた。パスカルはそれを合理的に説明しただけの話である。この世にはまだまだ不思議なことが一杯ある。それを不合理だといって「まやかし」と決め付けるより、素直な気持ちになってそれを受け入れたり真面目に研究するほうがどれだけ人類を、と言うより人類のキャパシティーを大きくしてくれるかを考えよう。魂の「生まれ変わり」を否定するより、それを受け入れたほうが考え方一つをとっても自分を大きくしてくれると思う。分かっていることより、分からないことのほうが面白いと思わなければ・・・。

心に潜む「悪」

 この世には悪い奴がうようよしている。たとえばモノを盗む奴、人を騙す奴、欲望のために人を殺す奴・・・泥棒、詐欺、殺人。『性犯罪』というカテゴリーもあるが、犯罪原因を辿ってみると、以外に性的コンプレックスがその背景にあったりして、根は深い。

 もっと厄介な『悪』も存在する。これらの犯罪は、その時点で『悪』どころかむしろ『善』として社会に受け入れられることさえあるのだから厄介だ。それはたとえば『戦争』であり、『公害』『薬害』などである。また自然環境を壊し、長い目で見てこの地球をダメにするあらゆる事柄も、『悪』と呼んでいいだろう。それらは組織的に行われる場合が多く、そういう意味ではむしろ個人的悪よりたちが悪い。単なる『失政』では片付かない。

 そしてここで私が書きたいのは、人間の根本に潜む『悪』についてなのだ。この『悪』が一番問題が大きいと思うのだ。

 悪の無い世界で、仲良く平等に暮らしたいと誰もが思っているだろう。誰だって基本的にはそうに違いない。しかし歴史を振り返ってもそんな時代は無い。有史以来、人類は世界中でそんな時代をひと時も経験していないし、個人史を振り返ってみてもそうだろう。周りがみんな『イイヤツ』で何らストレスを感じないで死んでいった人はほとんどいない筈だ。このことをよく考えてみよう。

 自分が生きてきたように、人も生きている。自分が感じるように、人も感じる。自分を守ろうとすれば、人も守る。そして人より自分がいい思いをしようとすれば、人だってもっといい思いをしようとする。人間の根本は『エゴ』によって支配されているのかもしれない。そして問題は、ほとんどの人が自分を間違っていないと思っていることにある。人間を国に置き換えてみれば、国家間の戦争がなんとなく分かる。みないろいろな理由で喧嘩をしたり言い争いをしたりしているが、根本には「自分がよければ」というエゴが隠れていることが分かる。もちろんそれがいいとか悪いとか言っているのではない。

 しかし、『この世に悪を作り出しているのは自分なのだ。』と思ったことは無いだろうか。私は何度かある。私はもちろん殺人は犯したことが無いし、喧嘩すらほとんどしたことが無い。しかしいろんな場面で、自分のエゴを感じる時がよくある。個人的なことでさえそう感じるのだから、『会社』として物事を考えた時はもっとエゴイズムに走らざるをえない。抽象的な言い方で分かりにくいかもしれないが、想像していただきたい。あなたが想像する事柄が、すなわち私がここに書きたいことだと思ってもらっていい。そこには若干の程度とやり方の違いがあるだけだ。

 だから、ある人が犯罪に走るのは、性格上の問題であって、実は考えていることは自分と大して変わらないのじゃないのか?、と思ったりもする。逆に行動が違うだけで考えていることが同じであれば、ある時、何かの拍子に私だって犯罪者になる可能性があるということだ。

 問題は、思考にあるのか行動にあるのか。・・・長く人間をやっていると分かってくるのだが、行動だけを捉えてあれこれ矯正しても無駄で、思考があって行動があるのだから、その思考を変えないと人間を変えられないのだ。自分の心に『悪』を生み出さないようにしなければ、自分は本当には変わらない。

 逆にエゴがないと生き残れないじゃないか・・・と思う人もいるかもしれない。そうなのだ。それが現実かもしれない。つまり、生きてゆく上で、ひとつの食べ物を分かち合えば、1日しか生きられない。自分一人が食えば、2日生きられる…。案外そんなところが人間、いや、動物としての人間の本質かもしれないし、そしてそれは間違っているとか正しいとか結論の出ない話なのかも知れない。しかしエゴを通すとそれが相手にとってプレッシャーとなり、ストレスを感じ、幸せでなくなるとすれば、どこかでやはり我慢しなければならないのだろう。それはつまり、生きているだけで、あるいは突き詰めると『自分が生きようとするだけで他人には迷惑』ということになる可能性だってある。

 話が難しくなってきた。私は何が言いたいのだろう…。堂々巡りは私のもっとも得意とするところであるが…。こういう時は話を脱線させよう。

 ここのところ映画をよく見るが、昔ホラー系のものも好んで見た。そんな残酷な映画を見たいと思う自分を分析してみると、私は人間というものがどこまで残酷、残虐になれるかということに興味があるのだと最近になって分かった。たとえ映画として作ったにせよ、作った人間にそんな意識が無いなら、そんな映画は出来ないはずだ。昔『セブン』という映画があった。私はこの映画を今までに無い映画としてある意味で評価した。映画というのは大体において、どんなに残虐なものでも最後は主人公が助かったり、悪いやつが死んだりして一件落着となるのが決まり相場だ。そうでないと観客の後味が悪くなる。だから最後は「ホッ」とさせるのが常識である。しかしこの『セブン』は違った。最後の最後まで『救い』というものが無かった。きっとこの作者は人間と言うものの本質を言いたかったのではないか?。悪を追求してゆくと、結局人間は、誰も救われない・・・。

 目を転じると、人間はもちろん素晴らしい生き物であり、この地球には多様な幸せが一杯落ちていて、だれでも拾うことが出来る。愛する人がいて、子供がいて、夢とか目標に向かってさえいれば誰でも喜びを掴むことが出来る。しかしその喜びとは「金というものについて」でも書いたように、『心のありよう』であって、決して物質ではないということだ。まず第一に、物質が絡んでくると、そこに『悪』が生まれてくるような気がしてならないのだ。自分の心に潜む『悪』を駆逐するためには、必要最低限の生活を甘受しなければならないのかもしれない。何度もくどいようだが、物質(=金)はこの地球上で、限られた量しか存在しない。然るに、人間の欲望には限度というものが無い。だから奪い合いが起き、殺しあう羽目になるのだ。 

 『相手がいなくなればいい…』と思うことは無いか…。会社でいえば競争相手の他社、あるいは一人の恋人を奪い合っている相手…。これがエゴだと分かっていても、こういう思いは一度や二度ならず、自分の頭をよぎったことがあるはずだ。

 たとえばあらゆる競争相手に勝って勝って勝ちまくり、絶対的勝利をモノにするなんてことは現実的にはあり得ないのに、人間は心の底で、それを望む。企業などがエゴ剥き出しに経済戦争をあちこちで起しているのも、この感覚だ。私にははっきり言って見苦しく見える。もちろん『負けっぱなし』もつまらないが、ある所で勝ち、ある所では負け、またある所では引き分ける…。人生観にもいろいろあるだろうが、私にはこれが自然で当たり前に見える。

 『悪』は自らが自らの心の中で作り出す。だからこの世から本当に悪をなくすには、自分の心が『悪』を作り出さないようにすることだ。幸せになるための第一段階かもしれない。

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