新潟蕎麦打ち修行 2006/10/23
一風が新蕎麦打ちの会を開催するという。 岐阜から私とじょしゅ、姫と作男が参加した。作男とは、以前は(姫に)殿と呼ばれていた人物であるが、訳あって職を辞し、無収入となったため殿から作男に転落したらしい。毎日毎日姫君からあれこれ用事を言いつけられ、「休みをくれ〜!」と現在労使交渉中という・・・まぁユニークかつ少し物悲しい夫婦が参加した。講師はもちろんナベさんである。このナベさん、もともとが職人肌の人なので、蕎麦打ちを覚えてからそれを体得するまで実に根気良く努力を積み重ねたらしく(1000食以上打ったらしい)、もうどこに出しても恥ずかしくないどころか、蕎麦打ちの先生と呼んでもおかしくない立派な職人なのである。つまり自分で店を持っていないというだけで腕前はプロ級なのだ。その先生にまさに手取り足取り教えてもらえるという幸せをここで感じなければいけない。
まず蕎麦打ちの手順を簡単に説明しておこう。今回打つのはそば粉400gに対して小麦粉100g、水250g・・・いわゆる二八蕎麦である。そば粉100%のいわゆる十割蕎麦は水の代わりに熱湯を使い、混ぜ方も違う。
@ 正確に計った粉をふるいにかけてコネ鉢に入れる
A 2/3の水を入れる
B 指先を使ってよく混ぜる
C 手でダマをすり潰すように、良く混ぜる
D 残りの水を三回ほどに分けて、混ぜながら塊にしてゆく
E それをコネてゆく・・・空気の入らないようにしっかりと
F 中央部をやや膨らませて手で伸ばす
G 麺棒を使って丸く伸ばしてゆく
H 折り返したりする時は打ち粉をする
I 専用の包丁で細く切ってゆく
この間約30〜40分。慣れると早いのはもちろんだ。麺棒が太いのはナベさん流。確かに細い棒より力がかけ易く、なおかつ伸ばす時に指などを引っ掛けて麺を傷つけることが少ない。上の写真の中で、BCDが一番重要だそうだ。新潟に出かける前に自宅で打ってみたが、そば粉が古い上にこの一番肝心な部分を曖昧にしていたためか、茹で上がった蕎麦がブツ切れ状態・・・三口ほど食べて、残りは捨ててしまった。ナベさん曰く「混ぜ三年、コネ一年、切りは3ヶ月」だそうである。それだけ混ぜが重要だということだ。なんでも奥が深いものだ・・・もっとも EASY COME, EASY GO で、簡単なことってのはすぐに飽きてしまうものだが。
こんな感じで指導が続く。打った蕎麦を目の前の客人にすぐに試食されるわけである。しかも右手前に座っている人は元蕎麦屋をやっていたというプロで・・・こんな人の前で蕎麦を打つということ自体が、精神的にも相当の修行になるわけであるが・・・そこは私も道楽を追及する身として、臆することなく開き直りの精神で頑張ったのである。なんとか細く切れるようになってきたぞ。
姫の要請で作男も蕎麦打ちを習わされた。作男は捨てられないためには、なんでも覚えなければならないのである。
この日一風は専ら蕎麦茹で係に専念していた。実はこの一風が最初ナベさんに蕎麦打ちを教えたらしい。しかも驚いたことに上記の蕎麦屋さんに最初蕎麦打ちを教えたのも一風だというではないか!。ああ、藍は藍より出でて藍よりも青し・・・我田引水、いや違った、猫に小判、豚に真珠・・・ううむ、よく分からぬが、すごいヤツである。
私はここで2回打たせてもらった。なんでも一回目より2回目がずっと身に入る。その後一風がワラビ蕎麦を打とうと提案してきた。自分が採ってきた「皇帝ワラビ」をミキサーにかけたヌメリ汁を水代わりに加えて打とうというわけである。ナベさんや蕎麦屋さんらとその割合をめぐって討論があったが、一風の提案どおり六四で折り合いがついた。で、私がこねてナベさんが延ばして打った蕎麦がコレ、一見旨そうに見えるのであるが、食ってみると・・・完全にワラビの味が勝っていて、蕎麦の味が消されていた。やっぱり2割程度がいいんじゃないか?とは試食後の各人の反省であった。
この日のお客さんの一部・・・手前がエミさん夫婦。このエミさんは上質な絵を描く。先ほどの蕎麦屋さんは引退してギターを弾いているという(今回爪を伸ばしているため蕎麦が打てなかった)。何かをやろうという人は、一生何かをやって生きている。それは年老いても同じであるどころか、むしろ浄化された強い衝動がその人に作用しているように感じられる。人間面白し、である。
ところで余ったり、切った時に出る切れ端などはまとめて油で揚げると大変おいしいことを教わった。揚げたてを塩を振って食べると、蕎麦の香りが鼻腔を擽り、ついついエンドレスになってしまう。
そんなこんなで私の蕎麦打ち修行は終了した。岐阜に帰り、私は友人やら知人やらに何度も蕎麦を打った。こういうことは覚えてすぐに繰り返さないと身につかないと思ったからだ。幸い評判は上々で、なによりその場で蕎麦を打って打ちたてを食すという贅沢な雰囲気が良いのであるが・・・ひとつのもてなしの形であると思い至った。人に出しても恥ずかしくない蕎麦を打てるようになったということは、私の趣味人生の中でも特筆の出来事であった・・・皆様本当にサンキューでした!。