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完結編

裏口で犬と戯れるレイラ…犬の名前は忘れてしまった。(出発前)

2月9日

 ブラジリアにたどり着いた僕は、再びソアレス一家の居候となった。

 アマゾンの旅で体調を崩していた僕は、部屋でゴロゴロしていることが多かった。おまけに虫歯も痛かった。サンパウロに帰ったら、歯医者に行かねばならない。

 レイラはもちろんジョンやマリアアリスも一緒にゴロゴロしていた。皆、夏休みなのだ。

 ありあまる時間こそが若者の特権だ。我々は何をするということもなく、ゲームをやったり冗談を言い合ったり、時々は外で遊んだりして時間を潰すことが出来た。それが何日続こうと、平気だった。そしてその間に、僕とレイラはますます仲良くなった。それはレイラが髪型を変えていたせいでもあった。5日に家でレイラを見た時、僕はレイラの髪型が変わっていることに、すぐに気が付いた。それは彼女の僕に対する気持ちを現すものだった。そして僕自身ももちろん、彼女と同じ気持ちだった。僕とレイラは、それぞれお互い、同じように考え、同じように行動した。二人とも、お互いの気持ちが分かっていた。

 夕方、僕らはキスをした。上の写真がその場所である。

 僕が彼女の唇にキスをすると、玄関前に座っていたレイラは目を閉じてキスを返してくれた。そして、その直後に笑い出した。何が可笑しいのかを聞くと、僕がその前に向こうに歩いていったり、またこっちに戻ってきたりと…そわそわしていたのが面白かったのだと答えた。…そりゃ、ドキドキするさ。 もしキスしようとして頬ビンタでも食らわされてみろ…今までの楽しい思い出が一度にフイになってしまうじゃないか。 99パーセントは大丈夫だと思っても、残りの1パーセント…それが怖かったのだ。 「恋は臆病なものさ…」と言おうとして、その言葉が分からず、「恋では勇敢になれない…」と英語とポルトガル語とをごっちゃにして答えた。レイラは笑って、今度は僕にキスをしてくれた。 

 僕らは「仲のいい友達」から「恋人」になった。

2月10日

 キスの話はたちまちのうちにマリアアリスに伝わり、その後ソアレス夫人に伝わり、当然ソアレス氏にも伝わったようだ。 朝、出掛けにレイラがソアレス氏に呼ばれ、こう言われたと僕に伝えた。

 「レイラ、マコトが旅人だってことを忘れちゃいけないよ。」

 この日僕らはベッドでキスを繰り返していた。時々マリアアリスが顔を見せ、

 「セパーラ、セパーラ(離れなさい、離れなさい)」

 と笑いながら部屋に入ってくる。 突然母親が顔を見せると、レイラもさすがにびっくりしてベッドから跳ね起きる。 しかし彼女(母親)は別段怒った顔もせず、優しく微笑みながらレイラに用件を伝えると、再びドアを閉めて出て行く。 

 ブラジルにはもちろん「お見合い」なんてモノは無い。そのせいか女性は日本よりずっと積極的である。 自分の恋人は自分で見つけなくてはならないのだ。だから両親も自分の娘の恋に寛容である。しかしブラジルはまた、カトリックの国だ。売春婦のいる反面、一般的に性に対しては厳格である。

 「結婚前にバージンを失った女性のことを、『黒い羊』と呼ぶのよ…」

 レイラは僕の耳元でささやく。

 「『Black Sheep』という歌を作ろう…」 思い付いて僕はベッドから起き上がり、机に向かった。そして二人で幼稚な英語を操りながら、歌詞を書いた。たしか『黒い羊に生まれた心の白い(きれいな)羊…』なんて歌だったが、どのみち英語がいい加減だから、ビートルズの歌詞を引用したり、あれこれいじくり回しているうちに、二人とも投げ出してしまった。

 レイラは僕に歌を歌ってくれと言った。ブラジルに来て何曲か作っていたうちから、『一月の川』(リオ デ ジャネイロ=の意味)という歌を歌ってやると、すごく気に入ってくれた。そして歌詞をローマ字に直して、レイラ自身が覚え、歌った。そんなことをしていると、ギターの音を聞きつけてマリアアリスが入ってきた。そして私にもマコトの歌を教えてくれと言う。明るい曲調が好きなのでそんな歌を歌ってやると、これもすぐに覚えて歌い始めた。この曲の題名は『ただ悲しみ募るばかり』というもので、内容は明るくないのだが、曲はメジャーコードだから、意味が分からなければ軽快に聞こえるのだ。その後マリアアリスはうるさいほどその歌を口ずさんだ。

 ジョンレノンの『ジェラスガイ』 ポールマッカートニィの『マイラブ』 ジョージハリスンの『ヒァカムズザサン』…こんな歌を道端の芝生の上で歌っていると、近所の若者がぱらぱらと集まってくる。僕も頑張って歌う。マリアアリスがなにやらその若者たちと話している。後でレイラに聞くと、

 「歌を作ったり歌ったりする人に悪人はいない…」という意味のことを言ってたそうだ…。うん、それは当たっているかもしれない。

 

 ジョンが撮った写真。真中が僕だ。

 

 マリアアリスが撮った写真。レイラの横にソアレス夫人。

 


 2月11日

 今夜の7時にサンパウロ行きのバスに乗る予定だった。もちろん無一文だったから、昨夜ソアレス氏に200コントを借り、僕が日本に帰る時に再度ブラジリアに寄り、返すという段取りにした。こうすればもう一度レイラと会うことが出来る。僕のブラジル旅行を最後に見送ってくれるのは、やはりレイラとソアレス一家でなければならなかった。

 僕らには、時間がなかった。 途切れ途切れの短い時間・・・それが僕らの恋を切ないものにしていた。 

 「セ ヴァイ インヴォーラ・・・」

 家から少し離れた木陰の芝生の上で、寝そべった僕らはキスを繰り返し、レイラがこの言葉を何度も呟く。 『あなたは行ってしまうのね・・・』 という意味だ。

 時間が僕らを追いかけていた。

 僕たちは浅い眠りの、夢の中にいた。

 夜になって出発の時間が近づいた。ソアレス夫人とマリアアリス、そしてレイラと4人でタクシーに乗り、バス停に向かう。 レイラは僕が好きだと言った服をちゃんと覚えていて、それを着ている。 なんて健気な女の子なんだろう。 そのストレートさが、僕の心に染みた。 こんな風に愛されたことはそれまで無かった。 いっそ、ブラジルで暮らすか・・・こんな気持ちが一瞬脳裏をよぎる。

 バスはブラジリアを出発した。 三人とも僕の乗ったバスが見えなくなるまで手を振っている。


 それから一ヶ月は何かと忙しかった。 

 叔父さんたちの親族が各所でお別れパーティーを開いてくれたり、2月25日から27日まではリオのカーニバルを見に行ったりと、もうすぐブラジルともお別れだと思うと、いろいろやることもあった。

 リオのカーニバルは毎年2月に行われるブラジルの『夏祭り』だ。サンバのリズムに乗って繰り広げられる壮大で賑やかなパレードは世界中の人が知っているだろう。 ここでも僕は失敗している。 一人でふらりとバスに乗って行ったのはいいけれど、ホテルが全部予約客で満室だったのだ。 今考えれば当たり前の話だが、仕方なくイパネマの海岸で夜を明かした。 なに、船の上に比べればこんなことなんでも無い。

 そういえばその時、朝方なにやら足音を感じて目を覚ますと、汚いジジイが歩いていく。見ると彼の手に僕の眼鏡がぶら下がっているではないか!。思わず立ち上がり、追いかけていって捕まえ、『これはオレのだ!』と言うと、憮然とした表情で、『ホレ!』と眼鏡を差し出した。ブラジルでは盗る人が悪いのじゃなくて、盗られるほうが悪いのだ。それにしてもこの平然とした態度には毒気を抜かれた思いがしたことを覚えている。・・・ご立派。

 ブラジルを発つ日が近づいてくると、いろんな思いが交錯した。名残惜しい気持ちと、日本に帰りたい気持ちが入り乱れていた。 大学の友人たちも今ごろ何をしているのだろう。 相も変らぬ怠けた日々か?・・・それとも何か面白いことを見つけているかな?。僕はブラジルで旅をして、半年間のうちにいろんな経験をした。 そんな経験をして自分という人間を見つめることも出来た。やはり人間は「何かをしようと行動を起す」ことが大切だ。たとえそれが何であっても、そしてそれが数々の失敗や絶望を生んだとしても、それが明日への礎となり、いつか自分に糧となって返ってくるだろう。 それに、悪いことばかりでも無い。 いくつかはきっと楽しかったり、充実感のあることが起こる。 それは自分自身への自信となって、また自分を育ててくれるのだ。


 3月の11日、8時25分に、僕はVARIG(ブラジル航空)の飛行機に乗ってコンゴニアス空港を飛び立った。11時15分にブラジリアに到着。レイラとマリアアリスはドレスを着て僕を迎えに来てくれていた。背広姿の僕を見て、レイラが目を見開き、「Oh!e voce Makoto?(ほんとにマコトなの?)」と笑いながらキスをしてくれた。マリアアリスはすぐにカフェを飲みに行く・・・と言って姿を消した。「Oh・・・coitado!(可哀想に・・・)」僕とレイラは顔を見合わせて笑った。マリアアリスは僕たちを二人にしようと気をきかしたのだった。

 サンパウロで買ったガラスケースに入った日本人形をお土産に持っていった。借りていた200コントも返した。

 ソアレス家には3泊した。いよいよ明日出発という日の夜、ソアレス氏が僕を呼んだ。そして僕に言った。

 「マコト、君が『紳士』でありつづけてくれて、感謝している。 私にとっても君のことはいい思い出になった。 むこうに着いたら手紙を書いてくれ」

 『紳士』という意味が分かりすぎるほど分かった。 もちろんレイラに対してだ。 レイラは言った。

 「Qeria nene de Voce…」 この意味は、訳さない。

 彼女は「黒い羊」になっても構わない、と言ってくれた。 しかし僕は彼女を「黒い羊」にはしなかった。 ソアレス氏が僕を『紳士』と呼んでくれたのはこの意味なのだ。 


 3月の14日、11時05分発のリマ行きの飛行機に乗るため、ソアレス家を出発した。 家族とはそこで別れ、レイラ一人がタクシーに乗った。 ソアレス夫人は僕を抱き、泣いてくれた。 マリアアリスは僕の唇にキスをしてくれた。 

 空港で、僕らはほとんど口をきかなかった。 レイラは空港に着いてからは泣きどおしだったし、僕も胸が詰まって、何を喋ったら良いのか、言葉が探せなかった。 

 搭乗時間が迫ってきた。 僕は意を決して立ち上がり、レイラに最後のキスをした。

 「Ate outoro dia (またいつか…)」

 そして後を振り返らずに、飛行機に乗った。

 飛行機の小さなガラス窓から、空港ビルの屋上に立つレイラの姿が見えた。彼女はハンカチを取り出し、小さく手を振っていた。 むこうからこちらは見えないだろう。 

「さよなら、レイラ…」 僕は呟いた。今までのことが一度に胸に去来し、僕は目蓋を閉じた。

 やがて飛行機は動き出し、離陸した。ブラジルの大地を離れたのだ。

チャオ、レイラ・・・チャオ、ブラジル…

 

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