そのA
そんな訳で、僕はソアレス一家の一員として1週間ブラジリアに滞在した。
1月14日
部屋のベッドで目を覚ますと、時計の針は十時を過ぎていた。どんな環境でもぐっすり寝られるのは僕の特技だが、さすがに照れくさかった。ソアレス氏はもうとっくに会社に出かけ、夫人が部屋の掃除をしていた。
「ボン・ジア!(おはよう!)マコト」
学校が夏休みなのでレイラもマリアアリスもルイーズも家にいる。遅い朝食の途中で、横に座ったレイラが僕に聞いてくる。
「どこに行きたい?」
僕はクラッカーを齧りながら「君がきれいだと思うところでいいよ」と答える。
我々はバスに乗り、ブラジリアの真中にある教会に行った。彼女らはバスの中でも教会でもキャァキャァ騒ぎ、特に妹のマリアアリスは明るく快活でいかにもラテン民族の代表選手だ。見ているだけで楽しくなってくる。同じ姉妹でもレイラのほうが落ち着きがある。歌もマリアアリスはハイテンポなものを好み、レイラはバラードを好んだ。
バス停でアイスクリームを舐めていたマリアアリスが僕の口元にアイスクリームを差し出し、舐めろと言う。僕が首を横に振り、アイスクリームは嫌いだと言うと、いかにも信じられない・・・という顔で
「ポルケ!?(なぜ?)こんなに美味しいのに!」
横からレイラが口を出す。
「だめよ、マリアアリス、マコトはカフェにだって砂糖をひとつしか入れないのよ!」
ブラジルではもちろんコーヒーは主飲料で朝食のことを「カフェ」と言うくらいだが、日本やアメリカとは淹れ方も飲み方も全く違う。ブラジルのカフェは豆をまず非常に細かく挽く。そしてそれを木綿の袋に入れて沸騰した鍋に袋の入り口を縛って放り込む。そして何分か煮る。つまり「煮出し」コーヒーだ。だからメチャクチャに濃い。そしてそのコーヒーを砂糖が半分くらい入ったデミタスカップに注ぐのである。小さいカップだから「カフェジーニョ」と呼ぶ。そしてそれを一気に胃袋に流し込む・・・。甘くて濃い、独特のコーヒーなのだ。
マリアアリスが食べ終わったアイスクリームの紙コップをいとも無造作に道端に投げ捨てた。僕の視線が投げ捨てられた紙コップにいくのを見て、レイラが笑いながら僕の鼻先に人差し指を突き出して、
「マコト、日本じゃ悪いことかもしれないけど、ここはブラジルなのよ!。ほらっ!」
と言うと手にしていた紙コップをわざと大袈裟に自分の真後ろに放り投げた。僕は笑いながら頷いていたが、心の中では少し引っかかるものがあった。彼女が紙コップを捨てたことではない。あたりを見渡しても、ブラジリアの街のほうが日本の街よりも、数段キレイだったからだ。
× × × × × × × × × × × × × ×
Mariaalice,Jhon,Leila en BRASIRIA
1月15日
僕はこの日のことを生涯忘れないだろう。
この日の昼間、僕たちは近くに住むジョンボスクというレイラより1つ年下の友達を交え、レイラの通うU&B大学に遊びに行ったり、部屋でいろいろなゲームをやったり、ブラジルで流行っているピアーダ(冗談)についておしゃべりしたり、ギターで歌を歌ったり・・・まぁ言ってしまえば暇つぶしをしていたわけだが、夕暮れ時になると急に皆がそわそわし始めた。ソアレス夫人は台所で女中さんと何かごそごそやっているし、先ほど帰ってきたソアレス氏はいつになく饒舌となり、私に日本語で書かれた本(それは心霊についてかかれた本であった。)を見せて、何が書いてあるのかとか質問をしたり、なんとなく落ち着かない雰囲気なのだ。そのうちソアレス氏の兄夫婦が二人で家にやってきて、なんだか急に家の中が賑やかになってきた。
街灯がともり始めたころ、レイラ達が僕を外に連れ出した。
「マコト、フットボールをやろうよ!」
フットボールとはブラジルではサッカーのことだ。もちろんブラジルはサッカーの国だから、街を歩くとどこででも子供たちがサッカーをやって遊んでいる。見ているとそれが本当に上手なのだ。この頃はあのペレが全盛だった頃だ。彼は当時国民的なスターだった。
我々は4人でボールを蹴って遊んでいたが、20分ほど経って急に止めようと言う。僕は何がなんだかさっぱり分からなかった。家に入る時、先頭のマリアアリスが入り口で立ち止まり、
「エントラ プリメイロ(先に入って)」
と言う。レイラやジョンも口々に同じことを言う。訳の分からないまま家に入った僕は、家の中の様子を見て、全てを察することができた。部屋は暗く、白いクロスのかかった大きなテーブルの上には大きなケーキが置かれ、23本の蝋燭が灯されていたのだ。皆が拍手で僕を迎えてくれた。そしてソアレス氏が先頭を切って例のバースデイソングをブラジル語で歌い始め、すぐに皆の合唱となった。
「パラヴェンス プラ ヴォセー パラヴェンス プラ ヴォセー・・・」
歌が終わると僕は自分の年齢の数だけ立てられた蝋燭の黄色い炎を一息で吹き消した。まるで今まで生きてきた23年間の人生がこの夜の瞬間に凝縮されたような、なんとも言えぬ気持ちだった。
地球の裏側で、しかもそれまでまったく見も知らぬ、言葉さえろくに通じない人々に自分の誕生日を祝ってもらう・・・。僕は胸が一杯になってしまい、本当に返す言葉も失って、ただ日本語で「有難う・・・アリガトウ・・・」を繰り返すばかりであった。
パーティーが始まり、僕は自分で持ってきたお土産のスコッチをずいぶん空けてしまった。普段は酒を口にしないソアレス氏も少し飲んだ。レイラもビールは嫌いだけどこれなら飲める・・・と言ってシャンパンを口に運んだ。マリアアリスはいつも以上にはしゃぎ回り、シャンパンをジョンに引っ掛けて夫人に叱られた。少し酔ったレイラが
「マコト、ブラジルは地球の裏じゃないわ、日本が地球の裏なのよ!」
と言い、それから本当にどちらが裏なのかと言う議論がしばらく続いた。自分たちが逆さまに歩いているのだと言うことを認めたくない気持ちはお互い様で、この状況では1対7で僕が圧倒的に不利ではあったが、それでもやはりブラジルは地球の裏なのだと、ガンと言い張る僕にマリアアリスは
「ミニョーカ エン カベッサ!(頭の中にミミズがいるわ!)」と決め付けた。
そんな時間が過ぎていった。少し飲みすぎて酔っ払った僕はソファーに座った。横にソアレス氏が来て、
「マコトもっと飲むかい?」と聞いた。僕はこう答えた。
「No thanks. ’cause I’m so drunk with・・・ Happiness」
ソアレス氏はやさしく微笑んで、「君がいいヤツで良かったよ・・・」と呟くように言った。今から考えれば、文通をしていたとはいえ、どこの馬の骨かもしれないヒッピーまがいの若造を、娘のいる家に泊めて、多少なりとも不安はあったろうと思う。今になってソアレス氏の心の広さを思う。そしてそれはお互いが信頼し合えた瞬間でもあったのだ。
× × × × × × × × × × × × × ×
一週間は瞬く間に過ぎた。次の日からも僕らはいろいろな所へ遊びに行った。プールで泳いだり,マリアアリスが通っているカポエイラ(ブラジルの伝統的な格闘技で、足を主に使う。ブラジル人は足を使うのが得意みたいだ。)の道場を見学したり、ガイゼル大統領の邸宅を見に行ったり、最後の土曜、日曜はソアレス氏も休日であったので、家族一緒にブラジリア見学。国会議事堂、国立競技場など数多くの建物を見て回る。さて、出発の前の日の夜、みんなで中華料理を食べに行った。子供たちは箸を使うのが初めてだったようで、皆僕に箸の使い方を教えろと言った。これにはさすがの僕も困った。箸の使い方は僕の大の苦手で、なんと言ったらいいのか・・・つまり子供のように箸を×にしないと煮豆をひとつづつ掴めないのであり、今現在でも進歩は無いのだが・・・やはりこの場は日本人の代表なのだから教えなくてはならない。で、どうしたかと言うと、
「箸の使い方にはいろいろあるが、僕はこの使い方でやっている。しかし日本人の多くはこの掴み方をしていないのである。まぁ、たいていの日本人はこのように使うが(と言ってちゃんとした使い方を一応少しして見せて)、今日はこの使い方を教えてあげましょう・・・」
と自分のやり方で教えてやると、皆口々に
「ディフィーシオ、ディフィーシオ・・・(難しい、難しい・・・)」と言いながら餃子をつまみ、ラーメンを口に運び、唐揚げを落っことしていた。 僕に箸の使い方を聞いたのが自分たちの運の悪いところであったと、その後気が付いたかどうか・・・。
Sr.Soares
1月20日
夕刻、僕がベレンに向けて出発しようとカバンなどを整理していると、ソアレス氏が旅の注意をしてくれた。ソアレス氏に言わせるとブラジルで長距離の旅と言えばほとんどそれは飛行機を使った旅のことであり、バスで長い旅をするということは無い。それはよほど金が無いか、変人のすることであるらしく、従って金品の盗難には十分に注意すること。また、アマゾン流域では馬鹿でかい蚊とか毒蜘蛛がいるから気をつけること。食べ物は私も知らないが、アサイーとかバクリーとかの果物が大変美味しいらしいから、あちらに言ったら食べてみろ。などと細かいことまでいろいろ教えてくれた。そして最後にこう言った。
「ムイント コヘージオ!(お前は勇気があるよ!)」
そんなことを言われて少し複雑な気持ちになった僕に、ソアレス氏は笑いながらこうも言ってくれた。
「もし途中でお金が無くなったり、病気になったりしたらBANCO
DO
BRASILを訪ねていきなさい。マナウス支店にはわたしの友人もいるし、わたしの名前を出せば面倒を見てくれるから。」
レイラが横から僕に耳打ちをした。
「マコト、何か買物をする時には、いい、こう言うのよ”ポージ
ディスコンタール?(安くならない?)”こう言えばまけてくれるから。それから、町で悪い女に声をかけられたらこういって断るのよ、”ノン
ケーロ(いらない)”。分かった?そうそう、トイレはどこかって言える?」
「言えるよ、”オンヂ
ヴァニェイロ”だろ?」
「そう、上手いわ、忘れちゃダメよ!」
バスは20日の真夜中の12時の出発であった。ベレンまで約2200キロ。昼夜ぶっ通しで走っても40時間ぐらいかかるらしい。ブラジリアを発つ時、家族みんなでバス停まで僕を送ってくれた。ルイースは眠い目をこすりながら、
「チャオ、マコート」
ソアレス氏とレイラとマリアアリスは手を振りながら覚えた日本語を使って、バスに乗り込んだ僕に口をそろえて、
[SAYONARA!」
なかなか発音が良かった。
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